ケビン・ランデルマン(Kevin Randleman、1971年8月10日 - 2016年2月11日)は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家、プロレスラー。オハイオ州サンダスキー出身。Tapout Training Facility所属。元UFC世界ヘビー級王者。ブラジリアン柔術青帯。レスリング出身であり、レッグダイブによるテイクダウン、そしてパウンドが得意技である。スタンドの打撃(特に左フック)も強力で、ストライカーであるミルコ・クロコップやムリーロ・ニンジャなどをスタンディングでKOしている。PRIDEでは驚異的なジャンプ力を披露するパフォーマンスにあやかって「リアル・ドンキーコング」と呼ばれた。マーク・コールマンを師に持つ。オハイオ州立大学在学中にNCAAディビジョン1のフリースタイルレスリング選手権で2度の優勝という実績を持ち、1996年に総合格闘技デビュー。1999年5月7日、UFC 20の世界ヘビー級王座決定戦でバス・ルッテンと対戦し、1-2の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。1999年11月19日、UFC 23の世界ヘビー級王座決定戦でピート・ウィリアムスと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。2000年6月9日のUFC 26ではペドロ・ヒーゾを判定で下し王座防衛に成功。しかし、2000年11月17日に行われたランディ・クートゥアとのタイトルマッチでパウンドでTKO負けを喫し王座陥落した。PRIDE参戦後3連勝したが、PRIDE.25でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンに敗北。さらにPRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦のワンマッチで桜庭和志に腕ひしぎ十字固めで一本負け。2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のヘビー級グランプリ1回戦でミルコ・クロコップと対戦し、左フックでダウンを奪いパウンドでKO勝ち。6月20日、PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUNDの2回戦でPRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。ヒョードルをスープレックスで頭からマットに叩きつけたが、直後にチキンウィングアームロックで一本負け。2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004でミルコ・クロコップと再戦し、フロントチョークで一本負け。リベンジを許した。2005年12月、真菌感染症のため左肺の手術を受け、しばらくの間、病院で闘病生活を送った。2006年10月21日、1年10か月ぶりの復帰戦となったPRIDE.32でマウリシオ・ショーグンと対戦し、膝十字固めで一本負け。試合後の薬物検査で人間以外の尿サンプルを提出したとしてネバダ州アスレチック・コミッションから選手ライセンスの剥奪、無期限出場停止を受けた。2007年初頭、感染症が再発し、再び闘病生活を送った。2007年8月、アメリカ合衆国ネバダ州で飲酒運転、速度違反、無免許運転などの容疑で逮捕された。2008年3月5日の戦極 〜第一陣〜において、戦極への参戦が発表された。2008年5月18日、戦極 〜第二陣〜で川村亮と対戦し、判定勝ち。2009年4月25日、5年半付き合ってきた白人女性と結婚。2009年6月6日、Strikeforce初参戦となったでマイク・ホワイトヘッドと対戦し、判定負け。2009年11月7日、戦極 〜第十一陣〜でスタニスラブ・ネドコフと対戦し、判定負け。この試合から所属がTapout Training Facilityとなった。2010年5月15日、でホジャー・グレイシーと対戦し、チョークスリーパーで一本負け。2002年11月17日にファンタジーファイトWRESTLE-1へ参戦して以来、総合格闘技と並行してプロレス活動も行っている。目標とするプロレスラーはジミー・スヌーカで、スヌーカ同様に驚異的な跳躍力を生かした技を得意とする。2007年4月のハッスルシリーズに覆面レスラーランデルマンが登場、金村キンタロー似のキンターマン、黒田哲広似のクロダーマンと組んで参戦。勝利を呼び込んだ上で、モンスター軍への雇用を求めるもあっさり拒否された。2016年2月12日に家族がランデルマンの死亡をFacebookにて報告、まだ44歳の若さだった。死因は肺炎による心不全との事である。彼の死はヒョードルやミルコを始めたとした多くのファイターから追悼の意を述べられた。
出典:wikipedia
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