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仁賀保藩

仁賀保藩(にがほはん)は、江戸時代初期に出羽国由利郡仁賀保(現在の秋田県にかほ市仁賀保地区)周辺に存在した藩。仁賀保氏は甲斐源氏・小笠原氏流の大井朝光の末裔と伝えられ、戦国時代には出羽国山根館を拠点とし、国人連合である由利十二頭の中心的存在であった。由利十二頭は状況に応じて大宝寺氏、小野寺氏、安東氏などの戦国大名と同盟を結び保身を図っており、その十二家は明らかではないが、仁賀保、赤尾津(小助川)、滝沢(由利)、岩屋、打越、下村、石沢、禰々井(根井)、潟保、子吉、玉米、矢島(大井)などの諸氏であるという。挙誠は赤尾津家から仁賀保挙晴の養子となった。その仁賀保挙誠は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで東軍に与して、西軍の上杉氏の属城を落としたことから戦後、所領の5000石を安堵された。1602年(慶長7年)に常陸国武田に移封されたが、大坂の役などでも徳川方として功績を挙げたことから、1623年(元和9年)10月18日、旧領である仁賀保に1万石の所領を与えられて諸侯に列し、仁賀保藩を立藩した。しかし1625年(寛永2年)に挙誠が死去すると、その所領は長男・仁賀保良俊に7000石、次男・仁賀保誠政に2000石、三男・仁賀保誠次に1000石とそれぞれ分封されて旗本となり、仁賀保藩はわずか2年で廃藩となった。後に良俊の家系は断絶したが、誠政流、誠次流の家系は明治時代まで存続した。外様。1万石。

出典:wikipedia

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