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ジム・ロジャーズ

ジム・ロジャーズ(Jim Rogers、1942年10月19日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州出身の投資家。クォンタム・ファンドの共同設立者(Co-Founder)。現在はRogers Holdingsの会長。投資手法は保守的な"BUY AND HOLD"ではなく、利益が出る状況に応じてロング(買い持ち)とショート(売り持ち)のどちらでもポジションをとり、投資対象も株式だけでなく通貨・商品と幅広く、また現物取引だけでなく先物取引やオプション取引も行う等、ジョージ・ソロスともに1970年代におけるヘッジファンドの先駆者であった。国際情勢、マクロ経済、金融政策、社会のトレンドなどによる需給の変化を徹底的に調査して、そこから価格の大きな上昇または下落を予想してポジションをとる、後にグローバル・マクロと呼ばれたスタイルの走りでもあった。ただし、いつもポジションをとるのが早過ぎるとして、下手なトレーダーを自称している。クォンタム・ファンドを2人で始めたときは、ジム・ロジャーズがアナリスト的な役割で、ジョージ・ソロスがトレーダー的な役割だったと、ジャック・D・シュワッガーの著書「マーケットの魔術師」で答えている。また、ジョージ・ソロスも自著"Soros on Soros"の中で、クォンタム・ファンド運営ではジム・ロジャーズがアナリストだったと述べている。Arnhold & S.Bleichroeder勤務時にジョージ・ソロスに出会ったことがきっかけで、1973年、ジョージ・ソロスとともにクォンタム・ファンドを設立する。クォンタム・ファンドは10年の間に3365%のリターンを得た(ちなみにこの間、ダウ平均株価は20%上昇したにすぎなかった)。この成功ののち、ジュニア・パートナーであったジムはスタッフの増強に反対し、クォンタム・ファンド運営の考え方に違いが生じたためジョージ・ソロスと袂を分かち、1980年にクォンタム・ファンドを去るとともに仕事を引退した。その翌年クォンタムは成立以来初めて資産を半分失う程の損失を出した。1998年、Rogers International Commodity index(RICI)を設立。この指数は当初こそ好調で、1998年8月1日から2007年12月までに326%上昇した。そして2004年に、書籍"Hot Commodities"を著し、従来の投資における考え方とは逆に、商品投資を最良の投資のひとつと主張した。 しかしその後のRICIのリターン(米ドルベース、年率平均)は、2004年3月1日-2014年2月28日の10年間で次のような結果に終わった(世界の株式、債券、不動産と比較)。RICIは他の投資クラスと比べて最低の成績であった。ちなみに、RICIと連動する日本のファンドとして、大和証券の「ダイワ・コモディティインデックス・ファンド」と三貴商事の「商品新時代」がある。しかし商品ファンドが抱える根本的な問題である先物運用コストに加え、高い信託報酬と販売手数料の問題により、指数に対して大幅に劣る運用結果となっている。例えばダイワ・コモディティインデックス・ファンドでは、設定当初から2014年2月28日までの10年弱で、1割しか上がっておらず、販売手数料を引くと年率リターンは1%にも満たない。1990年代から商品市場が強気相場になることを予想するとともに投資を実践し、21世紀初めの商品相場の高騰を的確に捉えたかに見えた。原油相場が100ドル(NYMEX:WTI先物)を超えた後も、大型油田の発見が無いことをもとに強気相場の終焉を否定していた。しかしサブプライムバブル時の乱高下後、原油相場は5年以上に渡って100ドル前後を越えられず、2014年後半からは暴落を始め、2015年初頭には半値の50ドルを割り込んだ。2008年に発生した未曾有の金融危機の際にも、ファンダメンタルズが損なわれていないとして商品投資を奨めていたが、その後5年間の商品の反発(+50%)は世界株(+150%)に比べて大きく劣後している。2004年には「商品の時代」(邦題)という本を出版し、これから10年の投資戦略と銘打って「株の時代は終わり商品の時代だ」と主張し続けていた。しかしその後2013年までの10年間で世界株は2倍になったのに対して、商品のリターンはほぼゼロであった。中華人民共和国の株式市場の将来性を高く評価して、積極的に中国株投資を行っていた。「19世紀はイギリスの時代、20世紀はアメリカの時代、21世紀は中国の時代」と評して、中国に関する著書("A Bull in China")も発刊している。インドへの投資には懐疑的な見方をたびたび表明して、中国への投資が有望と一貫して主張し続けている。娘には中国語(北京官話)を学ばせている。2007年1月26日上海総合指数が2,800まで上昇すると中国株式市場のバブルを主張したが、その後上海総合指数が4,000になると前述の発言を否定した。そして上海総合指数が6,000近くになると中国株に楽観的な考えを表明し、2007年10月には中国株式市場のバブル崩壊にもかかわらず中国株の長期投資を表明した。しかし、実際は2007年7月保有株が4倍になった時点で売り抜けていたと、中国で指摘された。2009年7月に上海総合指数が3,300まで反発すると、株価上昇はファンダメンタルズに対して行き過ぎているとの見解を示すとともに、(上海総合指数が1,700から2,300で推移していた)2008年10月の購入以来、中国株は買っていないと述べた。なお、自身の中国株投資の運用成績は公表していない。米国経済の破綻によって米ドルは暴落すると主張し続けている。自身は米ドル建て資産の処分と中華人民共和国の通貨である人民元の将来性を表明している。しかしドルの総合的な強さを表すドルインデックスは、その当時(2007年10月)の76から、7年後(2014年10月)には86に上昇している。2007年に家族とともにニューヨークからシンガポールに移住した。「1807年にロンドンに移住するのは、すばらしいことだった。1907年にニューヨークに移住するのは、すばらしいことだった。そして、2007年にはアジアに移住することが次のすばらしい戦略となるだろう。」と英Telegraphのインタビューに答えている。娘たちには将来を見越して、華僑圏で中国語を学ばせている。米国の中央銀行(連邦準備制度理事会)の金融政策には厳しい見方をとることが多い。たとえば、2008年の金融危機の際には英Telegraphのインタビューの中で、米国の連邦準備制度理事会の低金利・過剰流動性や金融機関の倒産回避指向の政策を批判する一方で、高金利政策や預金準備率でインフレーション抑制策を重視していた中華人民共和国の中央銀行(中国人民銀行)を高く評価した。著書"Adventure Capitalist"にも登場する米国人女性と3回目の結婚をし、2003年に長女、2008年に次女をもうけている。

出典:wikipedia

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