豊田市美術館(とよたしびじゅつかん、英語:Toyota Municipal Museum of Art)は、愛知県豊田市にある公立美術館。1995年(平成7年)に開館した。市街地の中心部に近く、かつて挙母城(七州城)のあった高台の一角に建設され、建築家・谷口吉生の設計による。20世紀美術とデザインの収蔵、現代美術の意欲的な企画展で全国的に知られ、また漆芸で高名な作家・髙橋節郎の作品を収蔵する髙橋節郎館を併設している。建築は、土門拳記念館や葛西臨海水族園、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、ニューヨーク近代美術館新館で知られる谷口吉生による。鉄とガラスのシンプルな形態のモダニズム建築で、展示や鑑賞や収蔵品の管理に対する配慮の行き届いた機能的な建築である。また、展示室から別の展示室がわずかに見えたり、順路の途中の廊下から豊田市の眺望が開けるなど、意外性や面白さも併せ持っている。建物は地形の傾斜にあわせて、1階部分も2階部分も地面に接している。1階部分は芝生の広場に面したエントランスで、2階部分のレベルは広大な人工池に面し、アメリカ製の緑色の特殊鋼板や白いガラスを用いている美術館本体や髙橋節郎館など、回廊状に連なった四角い建築群が水面によく映えている。池の対岸には彫刻の散歩道や茶室、復元された七州城の櫓がある。ランドスケープデザインはピーター・ウォーカー (ランドスケープアーキテクト)。茶室「童子苑」は、かつての美術館の敷地の一帯を指す「童子山」(どうじやま)という地名にちなむ。また七州城の隅櫓は当時の石垣を生かして1977年に再建されたものである。隅櫓に隣接する書院は「又日亭」(ゆうじつてい)といい、明治まで寺部城の城内にあった書院である。明治年間に千足町の竜寿院に移築され、その後解体される予定であったが、1977年、隅櫓再建とともに、豊田市によって現在地に移築された。茶室では美術館営業日には観客に立礼席茶会を提供しているほか、茶室・隅櫓広間・又日亭とも市民の利用に開放されている。コレクションは20世紀初頭の日本画、アーツ・アンド・クラフツ運動、ウィーン分離派、バウハウス、シュルレアリスムに属する作家の美術作品、同時期の家具などデザイン作品にはじまり、20世紀の主な美術運動を網羅し、1990年代以降の日本における現代美術の作品までを収集している。特に日本の同時代作家の収集や展覧は、リアルタイムの日本美術の研究や活性化のためにも重要でユニークな活動である。コレクションでは、同じ作家の作品を複数所蔵していることが多く、所蔵作品だけで常に小さな企画展を行うことが可能である。またアルテ・ポーヴェラなど戦後のイタリア美術の作品ほか、ヨーロッパの戦後美術の主要な作家に力を入れている。その他、遺族からまとまった寄贈を受けた小堀四郎、宮脇晴、宮脇綾子の作品を多数所蔵し、記念室で常設展示を行っている。サルバドール・ダリの作品の中でも極めて質の高いものを収蔵しているが、何故かあまり注目されていない。大規模巡回展の誘致ではなく、コレクションを軸にした活動を行っており、コレクションの常設展示に特に力を入れている。時代順に所蔵作品を並べるのではなく、展示室ごとに「テーマ展」と称する小規模な展覧会を随時行い、所蔵する作品を作家別やテーマ別に切り口を変えて展示している。また、企画展も20世紀初頭から現代のものまで、コレクションに関連したテーマで行っており、全国的に見ても特に意欲的な自主企画をすることが多い。その他、コレクションに直接関係はないが、バチカン美術館などイタリアに関連した古代・中世の美術品などの大型展覧会を行うことがある。2011年には市制60周年事業として「フェルメール≪地理学者≫とオランダ・フランドル絵画展」を開催。71日間で10万人を超える来場者を記録した。美術作家を招いて、児童生徒らに対する教育普及活動やワークショップも頻繁に行われる。美術家・川俣正による『ワーク・イン・プログレス:プロジェクト・イン・トヨタ・シティ』(1999年 - )では、豊田市の中心部の矢作川に木材を使って遊歩道、東屋、展望台などを設置するプロジェクトを、観客やボランティアとともに進めているところである。2014年(平成26年)9月16日から約1年間、老朽化やバリアフリーに伴う改修工事のため休館した。工事業者を決める入札で、唯一参加した業者の見積もりが設定金額を上回ったため不調に終わり、業者が決まらないまま休館したため、工事の遅れが危惧されたが、2015年10月10日に予定通りリニューアルオープンした。なお、開館20周年を記念し、同年11月14日と15日、特別展示室も含め全館無料となる。
出典:wikipedia
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