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檀君

檀君(だんくん)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、伝説上の古朝鮮の王。『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄と熊との間に生まれたと伝えられる。『三国遺事』の原注によると、檀君とは「檀国の君主」の意味であって個人名ではなく、個人名は王倹(おうけん・ワングム)という。檀君朝鮮の項目も参照。檀君はあくまでも説話上の存在であり、実在しなかったとされている。檀君王倹という言葉は、もともと由来の異なる二人の神、檀君と王倹を結び付けたものである。檀君という名については、「〜君」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「檀の神」であることを表す。12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』や『三国遺事』が書かれた高麗時代に熱冷ましの薬として檀が大いに持て囃され流行したが、この檀は仏教説話に結び付いており、当時仏教の盛んだった妙香山がその信仰の中心地だった。檀は本来インドや東南アジアなど熱帯系の植物で朝鮮には自生しないが、妙香山は今でも香木で覆われた山で有名であり、高麗時代に檀と称して解熱薬とされたのはこちらであった。王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことが分かる。『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくる。ただし『三国史記』『三国遺事』が書かれた高麗時代にいわれていた仙人とは、日本でいうようないわゆる山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、妖精とか妖怪に近いもので「王倹仙人」とは平壌の地霊をいった。『三国史記』には檀君という王がいたことは全く書かれていない。ただし、元になった伝承があったことは夫余の建国神話、及びツングース系の諸民族に伝わる獣祖神話から察知できる。物語の冒頭の構造は夫余神話からの借り物であって、それにツングース系の獣祖神話を繋ぎ合わせ、物語の結末に檀君王倹という名を嵌め込んだもので、相互に関連のなかった三系統の話を素材にした創作である。これらの傍証からも、檀君神話は朝鮮の古来からの独立を示すための創作説話だろうと推測されており、国家としての檀君朝鮮の実在性も認められない。李氏朝鮮末期の19世紀末には、中国由来や西洋由来の宗教でなく朝鮮独自の宗教を振興して民族主義のよりどころとしようという動きが現れ、檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する民族宗教が多く登場した。その中でも羅喆らがおこした大倧教は勢力が大きく、独立運動団体としても活動したほか大韓民国臨時政府などへ与えた影響も大きかった。檀君が即位して檀君朝鮮を建国したことを記念する開天節も大倧教が始めたものである。現在でも、朝鮮人の中には檀君を実在の人物と主張する人々も大勢いる。大韓民国の国定教科書では韓国の歴史が非常に長いことを示すために「史実」として教育するように指導されている。また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、1993年の発掘調査で檀君のものらしき骨が発見され、「電子スピン共鳴法」による解析で5011年前のものと分かったため、檀君は実在人物であったと主張されている。しかし、神話に基づく檀君朝鮮の建国年との間に700年近い差があり、また解析方法についても詳細が公表されていないことから、信憑性は低いと見られる。13世紀頃に成立した『三国遺事』は、『魏書』と『古記』から引用したとあるが、現存する『魏書』に檀君に関する記述はない。また『古記』は現在伝わっていない。『三国遺事』は、檀君王倹は1500年にわたって朝鮮を支配し、箕子朝鮮に朝鮮を譲ったあと、1908歳の余生を終え、阿斯達の山神になったと伝えている。『帝王韻紀』(1287年)、『応制詩註』(14世紀)、『世宗実録地理志』(1432年)、『東国輿地勝覧』(1481年)などにも記述があると韓国では主張されている。ただしいずれの資料も現存しておらず、真偽のほどは確認できない。『桓檀古記』に含まれる「檀君世紀」上編によれば、檀君朝鮮は始祖王倹より古列加まで47代続いた王朝であったという。しかし、同書や同じく『桓檀古記』にある「太白逸史」には清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え、「太白逸史」の引用書「朝代記」に至っては男女平等、父権などの近代になって登場した用語が使用されている。このことから、20世紀に入ってから作られた新しい偽書であることが確実視されている。檀君複数存在説を唱える偽史書の中では、『揆園史話』(1675年、北崖子著、近年になって原本が発見された)が最古に属し、他に『檀奇古史』、『神檀実記』、『神檀民史』、『符都誌』がある。檀君の即位年は、紀元前2333年とすることが現代韓国では一般的になっており、かつてこれを元年とする檀君紀元が1961年まで公式に用いられていた。即位年に関する記述は、文献によって一定しないが、いずれも中国の伝説上の聖人堯の在位中とされている。紀元前2333年説は、『東国通鑑』(1485年)の檀君即位の記述(堯の即位から50年目」)によったものである。『三国遺事』では堯の即位から50年目としつつ、割注で干支が合わず疑わしいとされている。他には、『世宗実録地理志』(1432年)には「唐堯的即位二十五年・戊辰」、つまり堯の即位から25年目とあり、李朝の建国が明の洪武25年であることに合わせてある。

出典:wikipedia

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