パンパカパラダイス 今夜もきかナイト!(パンパカパラダイス こんやもきかナイト、1992年4月6日 - 1996年4月5日)は、茨城放送で放送されていたラジオ番組である。通称パンパラ。主に中高生をターゲットにした番組としては1986年3月に終了した「若者通り22時夜はこれから(通称:夜これ)」以来の平日帯の自社製作番組。※川越美男(シンガーソングライター・作曲家。本田美奈子.に「mio」名義で曲を提供したことあり)、高原佑香(現:高信佳子)を除き全て茨城放送アナウンサー(当時)IBSの深夜帯(当時は午前0時放送終了のため22:00 - 24:00の枠を指す)では「夜これ」終了後同枠は「IBSラジオヤングタウン」(月曜 - 金曜22:00 - 23:30)と題し、月曜 - 木曜は外部製作の主にアイドル番組、金曜のみ自社製作番組が放送されていた。金曜版は旧社屋スタジオからの公開録音でそれなりに好評だったものの、週1では物足りないという意見がリスナー側だけではなく局内でも上がっていた。そこで1991年10月、今まで大人向けの音楽番組だった月曜 - 金曜 23:35 - 24:00の枠に古瀬俊介担当の「今夜こそきっと…」という原型となる番組がスタートする。帯の若年層向け自社製作番組を待ち望んでいたリスナーは多かったらしくたちまち多くのハガキが集まり、その半年後遂に6年続いたIBSラジオヤングタウンを打ち切り、月曜 - 木曜にも自社製作番組が帰ってくることとなった。第1回は拍子木の音から始まったが、2発目で鹿原が指を挟んだ。この番組では定期的に公開録音を行っていた。この番組は茨城放送でも屈指の人気番組であったが、1996年3月に突然終了が発表された。最後の公開放送は、3月31日(日曜)に水戸市立体育館で行われた。このときは13時からの1時間(本来は「歌謡Express」の枠であるが、これを休止しての生放送)と、16時からの1時間の2部構成で生放送されている。最終回は、他の曜日のパーソナリティも集合しての放送となった。また最後の瞬間は奇しくも第一回の放送日であった4月6日の午前0時30分であった。なお、この番組が終了してから、野放し番組のちょっとタンマ!が始まるまでの3年間、茨城放送夜の若者向け自社製作番組は土曜日の「Coke Teens Club」(但しニッポン放送からの全国ネットコーナーを内包)のみという状態が続いた。また、この手の番組は1998年秋に「そんなカバラ!」がスタートするまで活気を失う事となる。ただ時間帯の違い、ナイターオフ編成時限定ではあったものの1996年度から1998年度まではこの番組を「卒業」したパーソナリティが(番組独自のマイクネーム、親戚・兄弟・友人というギミックがあった)「IBSミュージックデリバリー」を担当した(年度により外れた者もいる)。この番組を打ち切って始まった「Dream Factory」には多数のスポンサーが付いていた。(パンパラは殆ど公共広告機構(現:ACジャパン)だった)ちなみに2006年4月現在の「東貴博 ニッポン全国 ラジベガス」+「レコメン!」の全国スポンサーのCM数(5本)より「Dream Factory」の方が平均9本と多かった。
出典:wikipedia
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