


和泉 雅子(いずみ まさこ、1947年7月31日 - )は、日本の女優、冒険家、真言宗の僧侶。本名は同じ。東京都中央区銀座4丁目出身。愛称は「マコ」。銀座・三原橋の傍で寿司割烹店を営む家庭に生まれた。実家はもともと魚河岸で鮪を商っており、その後場外で煮干し屋をやったのち、戦後三原橋に土地を購入して店を開いた。精華学園女子高等学校卒。10才で劇団若草の子役になった(太田博之と同期)後、金語楼劇団に入り喜劇を志す。その後、ジェスチャーに出演する柳家金語楼に鞄持ちとして随伴した際、同番組の共演者で日活のプロデューサー・水の江滝子にスカウトされ、1961年に日活へ入社。以降、青春映画に多数出演し、吉永小百合と松原智恵子と合わせて「日活三人娘」と呼ばれ、絶大な人気を誇った。中でも1963年上映の映画『非行少女』(浦山桐郎監督)の主演での演技力が認められ、エランドール新人賞や、ソビエト連邦時代のモスクワ映画祭金賞などの表彰歴を誇る。モスクワ映画祭では審査員を務めたフランスの名優ジャン・ギャバンも「この子はすごい」と語ったほど。彼女の出演した日活作品でよく共演したのが高橋英樹で、2人のコンビは「ポスト吉永小百合・ポスト浜田光夫」と云われた。1967年には同じ日活の山内賢とのデュエット曲「二人の銀座」「東京ナイト」が大ヒットし、レコードも何枚かリリースした。しかし1971年に日活は成人映画の路線に転換し、その後は本格的にテレビへ活動の場を移す。テレビでは映画時代の清純なイメージから一転、1978年には、土曜ワイド劇場「女教師」にて同番組唯一のレイプシーンを演じた。東京都港区白金台二丁目に『ホテルメイツ』を経営し居住。2005年11月27日を以ってトランクルーム『トランクルームプリンスメイツ』に業態転換し、2014年10月まで営業を続けた。2009年現在は銀座の自宅と北海道士別市の別荘を行き来する生活を送っている。近年はユニークなキャラクターを生かしてバラエティー番組にも出演している。その後も女優業を行う傍ら、テレビ番組のレポーターとして訪れた南極の魅力に惹かれ、冒険家としての活動も開始。1985年に北極点踏破を目指したが途中で断念し失敗。この冒険に掛かった費用は1億円以上にのぼり、大きな借金を抱えることとなった。しかし、借金を完済し終えた1989年に再度、北極点を目指す旅に出発。日本人女性として初めて達成する偉業を成し遂げた。もともと山歩きが好きであったことから、登山にも凝り始め、登山に耐えうる体力をつける為に脂肪を増やし、その後も減量を行わなかったため、その容姿に美人女優だった頃の面影を失い、また極地の強い紫外線の影響で多く出来たシミも相まって、過去と現在との落差が一時期バラエティー番組などでも話題となったが、本人は「〝昔はきれいだった〟とよく言われる」と明るく語っている。1985年3月23日に初めて挑戦、カナダのワードハント島から出発。北緯88度40分(北極点まで残り約150キロ)まで到達するも、気温上昇によるリード(氷の割れ目から海面が出る状態)の拡大により、前進出来なくなって失敗、同年5月23日に断念する。それから4年後の1989年3月10日に再び挑戦し、スノーモービルで踏破を目指す。出発から62日経った同年5月11日に、念願の北極点にようやく到達した。同隊では、他にテレビ朝日の大谷映芳、登山家伊藤周左衛門、イヌイットのオココ・カラック、ジョー・アマゴーリックが北極点に到達した。なお、女性としての北極点到達は、世界で2人目(1人目は1986年の犬ぞりでのアン・バンクロフト())であった。徒歩による到達は和泉が初である。
出典:wikipedia
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