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藤原是公

藤原 是公(ふじわら の これきみ、神亀4年(727年)- 延暦8年9月19日(789年10月12日))は、奈良時代後期の公卿。初名は黒麻呂。藤原南家、武部卿・藤原乙麻呂の長男。官位は従二位・右大臣、贈従一位。牛屋大臣と称された。天平宝字5年(761年)正六位上から従五位下に叙される。天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱終結後、播磨守・山背守を歴任する。称徳朝では俄に昇進し、天平神護元年(765年)従五位上・左衛士督に叙任、翌天平神護2年(766年)には従四位上まで昇叙された。また、天平神護元年(765年)に黒麻呂から是公に改名している。光仁朝に入っても順調に昇進を続け、宝亀4年(773年)正四位下、宝亀5年(774年)参議に任ぜられ公卿に列した。宝亀10年(779年)従三位。この間、左衛士督・左大弁など文武の要職を歴任するとともに、皇太子・山部親王(のち桓武天皇)の春宮大夫も務めた。桓武朝に入ると光仁朝以来の大官であった、藤原魚名(左大臣)・大中臣清麻呂(右大臣)・石上宅嗣(大納言)・藤原田麻呂(右大臣)らが相次いで死去したこともあり、急速に昇進を果たすことになる。天応元年(781年)桓武天皇が即位すると、同年正三位・中納言に叙任、翌天応2年(782年)大納言、延暦2年(783年)には右大臣に任じられ、太政官の筆頭の地位を占めた。延暦8年(789年)従二位右大臣兼中衛大将で没し、従一位が追贈された。享年63。大柄な体つきであり、加えて威厳があった。その時に応じた政務に通暁した有能な官人であり、てきぱきと裁断し滞ることがなかったという。

出典:wikipedia

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