串田 和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、日本の俳優、演出家。日本大学藝術学部特任教授。東京都小金井市出身。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業、日本大学芸術学部演劇学科中退。父は哲学者・詩人の串田孫一。祖父は三菱銀行初代会長の串田万蔵。母方の祖父は侯爵佐佐木行忠。1965年俳優座養成所を卒業し劇団文学座入団。1966年佐藤信、斎藤憐、吉田日出子らと共に自由劇場を結成。六本木の「アンダーグラウンド自由劇場」を本拠地とする。1969年9月、観世栄夫と共に東ドイツに渡り、1か月東ベルリンに滞在。その後1970年3月まで1人でフランスに滞在。1972年、自由劇場の実質解散後、吉田日出子に声を掛け、六本木自由劇場を本拠地に演劇活動を再開。この頃から演出、美術を手がける。1975年、正式にオンシアター自由劇場に劇団名を改める。『上海バンスキング』(1979年)、『もっと泣いてよフラッパー』(1977年)、『クスコ』などのヒット作を産み出す。この時期、俳優としては藤川延也という芸名を用いた。1985年、Bunkamura中劇場「シアターコクーン」芸術監督に就任。劇場設計に初期段階から携わる。1987年、自主制作映画『上海バンスキング』で初監督。1989年の劇場オープンと同時に、オンシアター自由劇場もフランチャイズ契約を結ぶ。9月の杮落とし『A列車』を皮切りに、劇場レパートリー制の導入、毎回異なる演出家による『夏の夜の夢』の連続上演、「コクーン歌舞伎」など、精力的な劇場運営を行う。1996年2月、シアターコクーン芸術監督任期満了と同時にオンシアター自由劇場も解散。2000年日本大学藝術学部演劇学科教授 兼 芸術研究所教授に就任。2003年4月にまつもと市民芸術館館長 兼 芸術監督に就任。コクーン歌舞伎、平成中村座公演を始めとする歌舞伎公演の演出もし、テレビCMなど多方面にて活躍中である。2006年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2008年、紫綬褒章、2013年、旭日小綬章受章。2011年、日本大学藝術学部放送学科特任教授に就任。2015年、第22回シビウ国際演劇祭で「ウォーク・オブ・フェイム」を受賞。コクーン歌舞伎、平成中村座、歌舞伎公演演出やテレビCMなど多方面にて活躍中。
出典:wikipedia
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