J・J・ジョンソン(J.J.Johnson、本名 James Louis Johnson, 1924年1月22日 - 2001年2月4日)は、スウィングジャズ期末期からモダン・ジャズ時代にかけて活躍したトロンボーンプレイヤー。モダンジャズにおけるトロンボーン演奏の第一人者であり、ジャズ界で「J.J.」と言えばすなわち彼を指すほどに著名な存在である。インディアナ州インディアナポリス生まれ。スウィング・ジャズ全盛期の1941年にクラレンス・ラブ楽団に在籍、プロとしての活動を開始。ベニー・カーター楽団(1942年-1945年在籍)やカウント・ベイシー楽団(1945年-1946年在籍)といった名門ビッグバンドでキャリアを積んだ。1950年代初頭に、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらとの演奏活動を通じてテクニックを磨き、のちに「空前絶後」と評された独自の演奏スタイルを確立してモダン・ジャズ時代の人気プレイヤーのひとりとなる。いくつかのリーダー・グループを率いたが、人気・実力共もっとも高かったのは1954年に白人のトロンボーン・プレイヤーカイ・ウィンディングと結成した2トロンボーン・コンボ「J&K」であろう。二人は日本でも「スイングジャーナル」誌における人気投票のトロンボーン部門で常に上位を争う存在であった。二人のコンボは、その独創性と完成度によって当初から高い評価を得ていた。またプレイヤーとしてだけではなくアレンジャーとしても活躍しており、自身が参加していないアルバムのアレンジや、映画音楽のスコアも数多く手がけている。70歳近くになってからもマッキントッシュPCでの編曲を始めるなど、精力的に活動。作曲面の才能もあり、バラード「ラメント」"Lament"などの代表曲がある。他に共演者はクリフォード・ブラウン、ジミー・ヒース、ケニー・クラーク、ウィントン・ケリー、チャールス・ミンガス、マイルス・デイヴィス、ハンク・モブレー、ホレス・シルヴァー、ポール・チェンバース、ソニー・ロリンズ、スタン・ゲッツ、オスカー・ピーターソン、レイ・ブラウン、トミー・フラナガン、マックス・ローチ、レオ・パーカー、ハンク・ジョーンズ、ソニー・スティット等が挙げられる。晩年まで音楽活動を続けたが、前立腺癌による病苦から2001年、インディアナポリスにて自殺した。スウィング・ジャズ時代には花形楽器だったトロンボーンだが、モダン・ジャズ時代になるとあまり省みられなくなった。その理由のひとつにトロンボーンの持つ構造的特徴がある。トロンボーンはトランペットやサックスのようにバルブやキーを操作することで音階を変化させるのではなく、スライドを伸縮させることによってそれを行う。このことが楽器としてきわめて特徴的な機能、例えば中間音(ハーフトーンやクォータートーン)を容易に出せる、スライドトーンといった表現が可能である等をもたらした。これらの特性はトロンボーンにハーモニー楽器としての位置付けをなし、アンサンブルを重視するビッグバンド・ジャズにおいてバンドや曲自体の性格を決定する「核」としての役割を果たすこととなった。しかしその後に訪れたビバップ時代は、スピード感あふれる素早い音の切り替えや高音域までカバーする幅広い音階を多用したアドリブ(インプロヴィゼーション)プレイ重視となり、前述したトロンボーンの楽器としての特徴は逆に欠点(スライドの移動距離が大きく素早いフレーズを吹きにくい、音程が狂いやすい、音と音の切り替えがあいまい等)となって、ジャズ楽器の主流の座を失っていった。J・J・ジョンソンは「トロンボーンのディジー・ガレスピー」と形容された超絶的技巧をもってこの欠点を克服し、モダン・ジャズのトップ・プレイヤーの地位を確立すると同時に、以降の時代におけるトロンボーンのジャズ楽器としての可能性を示し、多くの後進たちに多大な影響を与えた。その高速フレージングは、わざわざアルバムジャケットに「バルブトロンボーンに非ず」との注記まで付けられたほどである。(主要なもの)
出典:wikipedia
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