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楊虎城

楊 虎城(よう こじょう)は中華民国の軍人。張学良とともに西安事件を主導した。名は忠祥。号は当初虎臣であったが、後に虎城と改めた。一般に号で知られる。中国国民党の第十七路軍を率いていたが、南京国民政府を率いる蒋介石の方針である「安内攘外」に疑問を有し、1935年末に発生した一二・九運動では運動に参加した学生側に理解を示し、反共より抗日を重視する張学良と接近していった。1936年、蒋介石に対して、張学良とともにクーデタを決行(西安事件)し、中国国民党と中国共産党の間の国共内戦を収拾させた。この後楊虎城は一時的に国外へ逃れる。1937年に日中戦争が勃発すると、12月に抗日救国のため帰国した。しかし、妻らとともに蒋介石の指示で戴笠に捕らえられた。12年間各地で監禁され、妻は虐待の果てに1947年に病死した。楊虎城は、監禁中に生まれた娘らとともに、政治犯収容のためにアメリカと国民党政府が設置した重慶の監獄に移送された。そして、重慶陥落(1949年11月)前の9月17日に、蒋介石の命令で本人、幼い娘、秘書ら6人すべて惨殺され、埋められた。重慶を解放した第2野戦軍によって遺体が発見され、葬儀が行われた。現在、陕西省西安市長安区にある“楊虎城将軍烈士陵園”内に葬られている。2005年、台湾の政治家である連戦(中国国民党)が中華人民共和国を訪問した際、楊虎城の子孫が連戦に書簡を送り、楊虎城のためにも両党の関係改善を進めるべきと訴えている。

出典:wikipedia

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