『GLAY EXPO』(グレイ エキスポ)は、日本のロックバンド・GLAYが開催する大規模ライブイベントである。タイトルである「EXPO」とは、メンバーのHISASHIが子供の頃に見た宇宙科学博覧会をモチーフにして命名したもの。当初、1999年に幕張メッセのオープン10周年記念イベントとGLAYの結成10周年記念イベントを兼ねるものとして行われたが、2001年・2004年の開催以降、GLAYの代表的なライブイベントとなった。EXPOのコンサート自体は大規模な駐車場やスタジアム等に特設ステージを設けて行う。付近に「EXPO館」というGLAYにまつわる様々なもの(歌詞のメモやメンバー使用の楽器・衣装等)を展示した施設や、GLAYと関わりの深いメディアや団体が出展したブースを設ける。GLAYのメンバーは夏期に開催するこのEXPOを「独自のフェス」と考えており、同じく夏期に催される様々なロック・フェス等イベントに出演しないのは、このためである。1999年7月31日、幕張メッセのオープン10周年・GLAY結成10周年を記念して開催。期間前後には、日本航空とのタイアップで、「GLAYジャンボ」が就航された。新聞・テレビ・ラジオを問わず多くのメディアが当日の模様を報じ、芸能関係を扱うスポーツ紙のみならず、一般紙の一面にも記事が掲載されるなど、社会現象になった。パラボラアンテナを模した特設ステージは“音楽の発信基地”というコンセプトのもとに作られた。単独アーティストによる有料コンサートとしては世界最大級であり、その観客総動員数から“20万人ライヴ”と言う別称が付き、今ではこちらの呼び方が一般的になっている(ファンやメディアだけでなく、GLAYのメンバー自身もそう呼んでいる)。ライヴは最初の5曲(「HAPPY SWING」から「More than Love」まで)を会場中央に作られた小さな円形ステージで行い、「サバイバル」以降の曲はメインの前方ステージで演奏した。チケットが取れずに、会場近くの歩道橋から見る人も多く見受けられた。ライブ終了後、20万人全ての観客が退場したのは、日付が変わった深夜0:30だったという。TAKUROは「『ウッドストックのようなイベントをやりたい』という夢が叶ったと言う感じ。ステージに立っている時は間違いなく歓喜だった。その一方、この後何をどうしたらいいんだろうと言う虚脱感が襲ってきて、一時GLAYをどうするかと言う迷いが出たのも事実。結果的にそれ以降のGLAYを作っていくきっかけになったイベント」と後に語っている。北海道、東京都、福岡県の3会場にて、異なったステージセット・コンセプトにより、日本を縦断する形で行われた、2回目のEXPO。それぞれ会場の規模は、EXPO '99より劣るが、3会場トータルで28万人を動員。開演前のオープニングムービーや、EXPO館をはじめ各方面によるブースの充実など、前回よりフェスティバルの要素が強いイベントとなった。2001年7月28日・29日に、東京スタジアムで開催された。また、この公演で初めてライブ会場として、東京スタジアムが使用された。オープニングでは石原慎太郎、ジャッキー・チェン、ダウンタウン等、80名以上に及ぶ各方面の著名人や市井の人々らによるコメント映像を上映(下記で詳述)。TERUによる、エルビス・プレスリーをモチーフにしたシンガー“TELVIS(テルビス)”も登場した。EXPO 2001のオープニングによせて、各方面の著名人やGLAYのメンバーゆかりの人々、市井の人々らによる応援メッセージが約1時間上映された。2001年8月4日に開催。GLAYの出身地である北海道で開催されたこの公演は、「EXPO 2001の本祭」と位置づけられた。この会場のみ、7月31日〜8月5日の期間にわたりEXPO館が設けられた。また、EXPO '99の開催日である7月31日に、EXPO館に隣接する野球場にて『GLAY EXPO 2001 in 石狩シンポジウム 幕張を思い出します…』と題したトークとアコースティック演奏を交えたライブを開催した。2001年8月11日に開催。EXPO 2001の3会場中、この公演は唯一オールナイトで開催された。当初、福岡県の条例により未成年者の入場に関して警察からの許可が得られなかったが、入場に際して保護者の承諾書を持参する形で、最終的に未成年者の入場も許可された。また、会場が海岸に面しており、観客が誤って海面に落下する事態に備え、海上保安庁門司海上保安部の巡視艇2隻が周辺の海上に配置された。この公演ではアジア各国で活躍するアーティストを招き、パフォーマンスを披露。GLAYのメンバーが飛び入りしたり、GLAYの演奏にアジアのアーティストのひとりが飛び入りしたりと、共演を果たした。GLAYの初の観客と一体型のダンスナンバーとして南流石と流石組が参戦し披露した。2004年7月31日に開催された3回目のEXPO。GLAYのメジャーデビュー10周年・UNIVERSAL STUDIOS JAPAN(以下、USJ)のオープン3周年を記念して行われた。初のテーマパークでの開催ということで、公演中には中野裕之によるオープニングムービーの上映や、海賊姿のスタントマンが繰り広げるワイヤーアクション、GLAYを模したウッディー・ウッドペッカーのグッズなど、USJや映画とのコラボレーションが顕著なイベントである。また、EXPOとUSJ入場券のパックチケットを購入した入場者は、USJのアトラクションとともにEXPOを楽しんだ。ローラーコースターを模した特設ステージはU2やThe Rolling Stonesなどを手がけたステージデザイナーのトム・マクフィリップスがデザイン。TAKUROが直前に出演したミュージックステーションで「もう米粒だったなんて言わせない!」と発言したにもかかわらず、ステージの低さもあり後部ボックスの観客からはメンバーが見えなかった。当日は午前中からあいにくの雨模様だったが、ライブ開始直前に雨はピタリと止んだ。約3時間半に及ぶライブ中に雨の影響はほぼなく、無事終了した。2014年(平成26年)9月20日(土)に、ひとめぼれスタジアム宮城にて開催された4回目のEXPO。2012年(平成24年)7月に行われた『GLAY STADIUM LIVE 2012 THE SUITE ROOM in OSAKA NAGAI STADIUM Supported by glico』にて発表された「GLAY 7 BIG SURPRISES」の第6弾であり、GLAYのメジャーデビュー20周年企画の一環として開催された。EXPO開催は2004年以来10年ぶり。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)からの復興も目的としており、東北各県の代表的な6つのお祭りが集合して開催される東北六魂祭(震災の年から毎年開催)とのコラボレーションもなされた。2014年(平成26年)5月24日・25日に山形市で開催された同年の東北六魂祭に合わせ、GLAYのデビュー20周年記念日にあたる5月25日に、霞城公園内の山形市野球場にて『六魂Fes!×GLAY Special Live powered by Benefit one』を開催。会場には山形を中心に東北在住の約6000人を無料招待し、ニコニコ生放送でもオンエアした。同年7月9日発売の通算50枚目のシングル「BLEEZE 〜G4・III〜」に収録された、TERU作詞・作曲の「BLEEZE」が本公演のテーマソングとなった。同年8月18日から8月29日にかけて、東北6県の地を巡るホールツアー『GLAY LIVE TOUR 2014 TOHOKU』を開催。同年9月16日には、51stシングル『百花繚乱/疾走れ!ミライ』(同年10月15日リリース)の予約者限定で、東京都のZepp Tokyoにて本公演の前夜祭『GLAY EXPO 2014 前夜祭〜胸がざわめくZepp Tokyo〜』を開催した。同年9月19日・20日、宮城県総合運動公園(グランディ・21)のセキスイハイムスーパーアリーナにて、EXPO館を開館し、9月20日に宮城県総合運動公園(グランディ・21)のひとめぼれスタジアム宮城にて本公演を開催。本公演の模様は、WOWOWプライム、ライブ・ビューイングでもオンエアされた。本公演終了後の同年9月21日、TAKUROによるWEBラジオ「TAKURO MOBILE MEETING」の公開収録イベントを実施し、3000人のファンが集まった。2015年2月14日、本公演の模様を収録したDVD・Blu-ray『GLAY EXPO 2014 TOHOKU 20th Anniversary』をリリース。
出典:wikipedia
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