利根大堰(とねおおぜき)は、埼玉県行田市と群馬県邑楽郡千代田町の県境、利根川本川・河口から154km地点に建設された堰である。高度経済成長期において、東京都の水需要の急激な増大は深刻な問題となっていった。この為、建設省(現・国土交通省)は、東京の水需要を多摩川から利根川に転換すべく、1963年に利根導水路計画を立案した。元々、東京(江戸)を水害から守るという目的で利根川東遷事業を進めたという経緯があり、水利権の問題はあったが、時の建設大臣(池田内閣)河野一郎の政治的決断で計画されたといわれる。1964年、東京オリンピックを前にして、東京は未曾有の大渇水(通称・東京砂漠)が起こり、危機的状況に陥った。東京都の緊急要請により、建設省は朝霞水路を通して緊急取水を実施した。その後、1965年には荒川に秋ヶ瀬取水堰が建設され、朝霞浄水場へ導水する為の整備を行った。こうした中で利根川は「水資源開発促進法」に基づく指定河川となり、水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)が「利根川・荒川水資源開発基本計画」に従い、利根川から水道用水を取水する為に見沼代用水元入がある地点に利根大堰を建設し、首都圏の水需要に応えようとした。堰は1968年4月に完成した。利根川はサケ自然遡上の南限河川と言われているが、1970年代を境に、遡上数が減少の一途を辿っていた。これに対し群馬県前橋市では有志が集い、サケの放流事業を継続しているが、水資源機構は1983年から自然保護の一環としてサケの遡上調査を行い、サケを堰より上流に放流する作業を連年行った。更にサケの遡上を助ける為に、1995年から1997年にかけて、従来からあった魚道の大改築を実施した。こうした官・民の共同作業によって、サケは次第にその遡上数を回復させ、2005年には利根大堰地点で2,000尾以上のサケが前橋方面への遡上が確認された。この他、アユについても遡上数の上昇が認められている。さらに、サケの遡上を間近で見られる施設である大堰自然の観察室も堰の1号魚道脇に併設されている。尚、堰の上流側160m、下流側200mは禁漁区域に指定され、釣りを始めとした魚を獲る行為が禁止され、それを示す標識が川岸に設置されている。禁漁区域を除く場所でも水産資源管理のため、アユは1月1日から5月31日まで、サケは年間を通して禁漁期である。小学校教育指導要領社会における「生活環境の維持・県の概要を知る」などの目標の下、社会科見学のコースに導入している学校もある。堰の管理用道路は武蔵大橋(むさしおおはし)と呼ばれ、道路橋として供用されている。全長687.2m、幅員7m。主要地方道である栃木県道・群馬県道・埼玉県道20号足利邑楽行田線が通過しており、地域の基幹道路として活用されている。中型・大型のトラックの往来の多い道路であるが、取付道路が両岸とも急坂急カーブである上、幅員および歩道が狭いため接触事故が多く、開通後から現在に至るまで数次にわたって改修・補修が繰り返されている。
出典:wikipedia
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