伊射波神社(いざわじんじゃ)は、三重県鳥羽市安楽島町(あらしまちょう)の加布良古崎にある神社。式内社(大社)論社で、志摩国一宮。旧社格は無格社。別称として「志摩大明神」・「加布良古大明神」・「かぶらこさん」等とも呼ばれる。『諸国一の宮』によれば、祭神は以下の4柱。御崎の先には、別に領有神が祀られている。当社の玉垣内には丸白石が敷き詰められており、古くから漁民はこの白石を船霊として船中に安置し、豊漁を祈る習慣がある。船守りとして白石を持ち帰った際は、必ず2倍3倍にして社地へ返さねばならないとされる。創建の時期は不詳だが、1500年以上の歴史を持つといわれる。『諸国一の宮』によれば、当社は稚日女尊を海の道から加布良古崎へ祭祀したのが起源で、志摩国の海上守護神として古代から崇敬されたと言う。延長5年(927年)の『延喜式神名帳』には「貞コ粟嶋坐伊射波神社二座 並 大」と記載がある。『諸国一の宮』では、志摩市磯部町から鳥羽市安楽島町にかけての粟嶋と呼ばれた地域で、伊射波神社2座のうち1つは当社、1つは伊雑宮と述べる。しかし、『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、伊射波神社2座は合祀されて伊雑宮に祀られたので、当社は式内・伊射波神社ではないとする。建久3年(1192年)の『皇大神宮年中行事』に「悪志。赤崎。加布良古明神」とあり、また『外宮旧神楽歌』に「志摩国知久利が浜におわします悪止・赤崎・悪止九所のみまえには、あまたの船こそ浮かんだれ、艫には赤碕のり玉う。舳先には大明神(加布良古神)のり玉う。加布良古の外峰に立てる姫小松、沢立てる松は千世のためし、加布良古の沖の汐ひかば、都へなびけ、我も靡かん。加布良古の大明神に遊びの上分を参らする請玉の宝殿」とあるため、『日本の神々』では古くから阿久志神社や赤崎神社と共に知られていたと述べる。当社は伊雑宮と共に志摩国一宮とされる。志摩国に一宮が2つあった理由について、『日本の神々』では伊雑宮が伊勢神宮の別宮兼官社だったため、民社で同じ祭神の当社を一宮にすべき事情があったか、鳥羽藩が神領再興を叫ぶ伊雑宮の神職を牽制するためにもう1つの一宮をつくったのではないかと推測している。また、『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、次の5つの理由から伊雑宮こそが志摩国の一宮とする。『志陽略誌』には「倭論語云う志摩大明神と号す是なり。或人志摩国一宮と云う也。(略)往古社頭地あると雖も、戦国より以来之を亡失す」とあり、戦国時代に社地を失ったとされる。また、安政元年(1854年)11月の大地震と大津波、火災によって記録が流失・焼失したと言う。明治の近代社格制度では無格社とされた。昭和31年(1956年)籠堂が再建され、昭和51年(1976年)本殿と拝殿が造営。平成13年(2001年)神明造の本殿と拝殿を現在地に造営して遷座した。
出典:wikipedia
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