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ギフチョウ

ギフチョウ(岐阜蝶・学名 "Luehdorfia japonica")は、チョウ目・アゲハチョウ科・ウスバアゲハ亜科ギフチョウ属に分類されるチョウの一種。日本の本州の里山に生息するチョウで、成虫は春に発生する。近年、里山の放棄、開発などにより個体数の減少が著しい。成虫の前翅長は3-3.5 cm、開長は4.8-6.5 cmほど。成虫の翅は黄白色と黒の縦じま模様で、後翅の外側には青や橙、赤色の斑紋が並ぶ。さらに後翅には尾状突起を持つ。オスとメスの外観の差異は少なく、若干メスが大きい。近縁種のヒメギフチョウとよく似ているが、ギフチョウは前翅のいちばん外側に並ぶ黄白色の斑紋が、一番上の1つだけが内側にずれている。また、尾状突起が長く、先が丸いことなども区別点となる。日本の固有種で、本州の秋田県南部の鳥海山北麓から山口県中部にいたる26都府県(東京都、和歌山県では絶滅)に分布する。分布域によって色柄などの地理的変異が見られる。下草の少ない落葉広葉樹林に生息し、成虫は年に1度だけ、3月下旬-6月中旬に発生する。ただし発生時期はその年の残雪の量に左右される。オスはメスよりも1週間ほど早く発生する。カタクリ、ショウジョウバカマ、スミレ類、サクラ類などの花を訪れ吸蜜する。黄色い花にはほとんど集まらない。ギフチョウのオスは、交尾の際、特殊な粘液を分泌してメスの腹部の先に塗りつける習性がある。塗りつけられた粘液は固まって板状の交尾嚢になり、メスは2度と交尾できない状態になる。幼虫の食草はウマノスズクサ科カンアオイ属のミヤコアオイやヒメカンアオイなどで、卵もこれらの食草に産みつけられる。卵の直径は1mmほどである。真珠のような卵から孵化した幼虫は黒いケムシで、孵化後しばらくは集団生活をして育つ。4回脱皮した終齢幼虫は体長3.5cmほどに成長し、夏には成熟して地表に降り、落ち葉の裏で蛹となる。蛹の体長はだいたい2cmくらいである。蛹の期間が約10ヶ月と非常に長いのが特徴で、そのまま越冬して春まで蛹で過ごす。1731年の作とされる国立国会図書館所蔵『東莠南畝讖』にはギフチョウ図が掲載されているが、その当時は「錦蝶」と呼ばれていた。吉田高憲が1840年前後に『雀巣庵虫譜』でギフチョウを「ダンダラチョウ」として挿絵付きで解説していたことから、伊藤篤太郎は『動物学雑誌 第11号』でこの和名をダンダラチョウとするべきと主張していた。和名は1883年(明治16年)4月24日、名和靖によって岐阜県郡上郡祖師野村(現下呂市金山町祖師野)で採集されたことに由来する。名和靖が採取した標本を石川千代松に同定を依頼し、当時の新種であることが確認された。1887年(明治20年)ギフチョウの食草を発見したものには懸賞金が与えられることになり、当時14歳だった名和梅吉(名和昆虫研究所2台目所長)がその食草の1種であるウスバサイシンを谷汲村で発見し20銭の懸賞金を名和靖から与えられた。1889年(明治22年)4月15に発行された『動物学雑誌 第1巻 6号』に、明治22年3月中に岐阜県に採取された蝶類目録として「ギフテフ」という名称が掲載され、その後この呼び名が多くの人に知られるようになった。1887年横浜市に在住していたイギリス人博物学者のプライヤー(Henry James Stovin Pryer)は、「日本蝶類図譜」で岐阜で採取されていたギフチョウを北海道のヒメギフチョウと同種と発表していたが、イギリスの昆虫学者リーチ(John Henry Leech)の鑑定により1889年(明治22年)に新種のギフチョウ(Luehdorfia japonica )であると訂正された。1897年(明治30年)に『昆虫世界』第1巻第1号の巻頭口絵でギフチョウとヒメギフチョウの生態観察のスケッチが学名付きで掲載された。ギフチョウ属("Luehdorfia")は、以下の種に分類されている。シベリアから中国にかけての地域などに分布している。日本ではギフチョウとヒメギフチョウの分布が明確に分かれていることが知られており、この2種の分布境界線をリュードルフィアライン(ギフチョウ線)と呼ぶ。リュードルフィアとはギフチョウの属名 "Luehdorfia" である。このライン上の山形県や長野県では両種の雑種が確認されている。日本にはギフチョウの他にもう1種類 ヒメギフチョウ(姫岐阜蝶、"Luehdorfia puziloi")が分布する。ギフチョウによく似ているが、前翅のいちばん前方外側の黄白色の斑紋がずれず、他の斑紋と曲線をなしている。また、尾状突起が短く、先がとがっている。生育環境も、より冷涼な山地を好む。中国東北部、シベリア沿海州、朝鮮半島、日本にかけて広く分布する。日本では中部地方・関東地方の数県と東北地方、北海道に分布している。日本の個体群のうち、本州産のものは亜種 "L. p. inexpecta" 、北海道のものは亜種 "L. p. yessoensis" とされている。新潟県糸魚川市大字小滝の『クモマツマキチョウ及びヒメギフチョウ生息地』が県指定の天然記念物である。また群馬県で天然記念物に指定されている。幼虫はウマノスズクサ科のウスバサイシン、オクエゾサイシンなどを食草とする。ギフチョウは、日本産のチョウの中でも特に保護活動が盛んに行われている種類である。自然保護団体が率先してギフチョウ保護に乗り出し、それをマスコミが煽り立てる構図で日本の春を席巻してきた。行政側も相乗りし、保護条例を盛んに作っている。自然保護キャンペーンや保護論者のシンボル的存在ともなっている。ギフチョウは手付かずの原生林ではなく、人間が利用するために適度な下草が保たれる里山に多い。そのためいわゆる保護区では、利用されなくなった落葉広葉樹林の草刈りや枝打ち、落ち葉かきを行って、ギフチョウの生息環境を維持している。保護区を設けて愛好者を締め出しておきながら、一方ではゴルフ場やスキー場・道路建設のために、環境を根こそぎ変えてしまうことが平然と行われているのも実状である。また、指定はしたものの看板一つ立てただけで他の保護対策は何一つ実施されていない場所もある。このような状況は他の生物保護についてもしばしば見られる問題である。通常、生物保護にはきめ細かく総合的・長期的な対策が必要なことが多いため、ひとり行政のみによる対策では予算・人手・知識などの不足から十全な保護が行えないのが一般的である。加えて宅地造成など、他の経済的事由により土地改変が行われることも多く、十分な保護対策には地元のボランティアや専門家、愛好者などによる保護活動への参画・モニタリング等が必要な場合も多い。また、減少したギフチョウを増やすために他地域からの移入を行う事が企画される場合がある。しかしながら、この様な事が行なわれれば、メダカのような遺伝子汚染を起こすことになり、厳に慎むべきである。これも安易な考えに基づく生物保護活動に見られる大きな問題の一つである。国際自然保護連合(IUCN)により、レッドリストの準絶滅危惧(NT)の指定を受けている。日本では環境省により、絶滅危惧II類(VU)の指定を受けている。また以下の都道府県により、レッドリストの指定を受けている。環境調査のための指標昆虫のひとつに選定されている。都市近郊の生息地の二次林の放置による個体数の減少が著しく、ゴルフ場開発などにより生息地の消滅し絶滅が危惧されている。日本の以下の自治体の蝶に指定されている。ギフチョウに関して以下の多数の自治体で天然記念物などの文化財に指定されている。香川県の金刀比羅宮奥書院「菖蒲之間」の長押上張付には、京都絵師の重鎮であった岸岱(がんたい)によって描かれた「群蝶図」(天保十五年(1844年))があり、実に428頭ものチョウやガが描かれており、その中に四国に分布しないギフチョウも含まれている。この絵が描かれたのは、名和靖博士により採集されるより130年以上も前の江戸時代であるが、ギフチョウは里山のチョウであるため全く知られていなかったわけではないので驚くほどのことはない。絵の参考にしたのは、琴平在住の絵師で蝶収集家でもあった合葉文山(あいばぶんざん)の標本と写生とされており、本州などで採集したチョウやガがあったと考えられる。ただしこの中には実在しない渦巻状の模様を持つガも含まれるなど、フィクションもかなり入っている。

出典:wikipedia

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