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レイザーラモンHG

レイザーラモンHG(レイザーラモンエイチジー、1975年12月18日 - )は、日本のお笑いタレント、元プロレスラー。レイザーラモンRG/出渕誠とお笑いコンビレイザーラモンを組んでいる。本名の住谷 正樹(すみたに まさき)名義での活動もある。2002年にbaseよしもとに出演した際、腰を激しくグラインドしながらダンスをし、共演していたケンドーコバヤシが「お前はハードゲイか!」とツッコんだ事がハードゲイキャラクター誕生のきっかけとされる。その後、吉本新喜劇の舞台や「吉本オールスター大運動会」等で、キャラクターを確立させていった。「爆笑問題のバク天!」に出演し始めた頃は「レイザーラモン住谷」と名乗っていたが、ハードゲイキャラクターであるのか、キャラクターの無い状態であるのかがわかりにくかった為、2005年春頃から「レイザーラモンHG」もしくは「HG」と一本化された。HGのブレイクにあやかり、相方の出渕誠がレイザーラモンRG(Real Gay)というHGを真似たキャラクターで活動を始める。当時は「レイザーラモンHG」と「住谷正樹」は別人格という事にされていた。サングラスについては「外されると住谷君に戻る」と述べた。HGは「ハードゲイ」の略称であるが、『コロコロコミック』など場合によっては「ハイグレード」の略称になっていた時もある。2006年3月17日号のフライデーで、後の夫人となるタレントの鈴木杏奈とのデートの現場を撮影され、入籍した際は、「住谷正樹が結婚したのであり、HGはゲイなので独身である」との見解を出して別人格であることを強調した。その為、HGは住谷正樹に対して祝辞を送っていた。杏奈夫人の妊娠発表の際もHGとしてお祝いしている。2008年頃には往年の勢いをふまえた、「あの頃のフォー!!!」が繰り出されるようになった。ブレイク時は吉本公認の衣装なども発売されたが、同時期に別なメーカーから発売された「ハードなお兄さん」と言う類似品にも「ハイグレード」と明記されており、2009年には『S-1バトル』にHG自ら類似品の発売元に詳細を問い合わせた動画で参戦している。概ね「フォー!」や「フゥー!」等と表記され、正確な表記・発音は明確になっておらず、2005年に流行語大賞トップテンに選出された際の主催のユーキャンによる記述は「フォーー!」、「フォー」(正確には「フー」)となっている。「フォー!」の意味については、「相手に賛辞を送るための言葉」としている。また、藤井隆も「フォー!」と叫ぶギャグがあったため流行時はしばしば比較された。己の肉体の隆々ぶりを誇示していると、突然共演者から乳首を攻められ「ウヒョヒョヒョ!」と大きく反応して逃げだし、しゃがみ込む(または跪く)。一呼吸置いて立ち上がり「お前!乳首だけは触んな言うてるやろ!」と凄むが再び攻められ反応し続け、徐々に恍惚の表情になり、舞台の主面を向いてしゃがみ込んだかと思うと「乳首…ちくび…チクビかあー」と悦びに浸る。そこで共演者から「やかましわい!」とツッコミが入る。兵庫県加古郡播磨町出身(生まれは神戸市垂水区)。蓮池小学校から播磨中学校→兵庫県立加古川東高等学校→同志社大学商学部(指定校推薦)の順に進学。小学校での地区は現在の「新野添」である。 小学校から高校までサッカー少年であった。ポジションはディフェンダーで、自身は「中学で今の身長だったので、ヘディングでは1度も負けなかった。」と述べた。永島昭浩がきっかけで、Jリーグ開幕時にはガンバ大阪を応援。同じ同志社大学出身の宮本恒靖が活躍したこともあり、新聞などで「常に気になる」とコメントしている。大学時代は同志社プロレス同盟(DWA)に所属し、学生プロレスに没頭する。後に新日本プロレスのプロレスラーとなる棚橋弘至(立命館プロレス同好会所属、リングネーム「TURNER THE INSERT」)とも対戦した経験を持つ。相方の出渕誠によれば、当時は同志社大のエースとして一目置かれる存在だったという。事実、第11代、第13代京都統一ヘビー級王者、第2代、第5代京都統一タッグ王者になるなど、輝かしい実績を誇る。リングネームは「ギブアップ住谷」。学生プロレスの場合、リングネームには下ネタが多用されるが(例えば出渕は「チン先真性」)、練習に真剣に取り組むなど真面目さが奏功し、下ネタは使われなかったという。正義感が強く、吉本新喜劇の楽屋で川畑泰史の悪口で盛り上がっていた時に、住谷がいきなりバーンと立ち上がり、「川畑さんはそんな人じゃないです!」と発言したという。渡辺美里のファンであり、レイザーラモンでの漫才でも引き合いに出される。元々は『PRIDEひかり道』の「芸人寝技王」という企画に出ていたのが始まりで、HGとコンタクトを取りたかった島田裕二が、『PRIDEひかり道』の司会者だったハリガネロックのユウキロックを介してHGとコンタクトを取り、ハッスルでの出演が決まったとされる。「ハッスル・マニア2005」でデビュー。リング名はレイザーラモンHGではなくHGである。衣装はこれまで着用していたものをベースに、プロレスに耐えうる仕様となっている。「ハッスル・マニア2006」などで着用していたホワイトバージョンもある。新生ハッスル軍ではエースという位置づけであった。2009年6月25日、高田総統劇場後出現し、完全復活。27日ハッスルツアー桐生大会で、レイザーラモンとKGで第1ハッスルの試合(ニセHGと赤、青鬼蜘蛛)でハッスル軍復帰し、ニセHGに元祖・昇天ドロップで勝利し、復帰戦を白星で飾った。HGが進化した姿であり、この状態になると戦闘力がアップするスーパーHGへ変身。「木下博勝によって改造手術を受けてパワーアップした姿」という設定になっているが、これは誤った表記である。「モンスター軍最高医局長であるドクター中松による改造手術で手に入れたものであり、木下が行ったのはハッスルパワーが封印されないように手術を施した」という設定が正しい表記である。「木下によって改造手術を受けてパワーアップした姿」という設定を強調しているのは、ストーリー上便宜がよいためである。初登場した当初から、背中に付いているアザ(モンスター軍のマーク)がRGや高田総統に指摘されていたが、スーパーHGに変身するたびに怒りのパワーを体内に蓄積する装置であり、リミットをオーバーするとモンスター化するようになっていたことが「ハッスル・マニア2008」にて明かされた。この状態での得意技は先頭に「スーパー」が付く(例:スーパー昇天ドロップなど)。HGがモンスター化してしまい、「ハッスル・マニア2008」にて初登場したのがモンスターHG。容姿はHGとは大きく異なる。かつての陽気なファイトスタイルは消え、タイガー・ジェット・シンを彷彿とさせるような陰湿で残虐なファイトスタイルを採っている。ニセHGとキスをするなど、これまでのHGとは一線を画しているが、下ネタについてはこれまで通り用いている。身も心もモンスターとなっているが、厳密には完全にモンスター化していない。これはHGが「モンスター脳みそ」の移植前に逃走したためである。2009年モンスターHGとして、かつてのHGとは違い、破壊を好むキャラとして、RGを徹底的に攻撃したが、マグマムTOKYO3連戦に負けるなど負けが込み、6月25日のハッスルツアーでRGと一騎討ちの試合で、試合を有利に進めたが、RGのHGへ捧げた「愛の手紙」に動揺し、さらにRGが放ったHGの技「昇天ドロップ」で試合に負けてしまい、頭を抱え退場後、高田総統はあえて連れ戻しもせず放置して、モンスターHGが終わりを告げた。モンスターHGで唯一勝った試合は1試合のみであった(2009年3月25日のモンスターK川田利明とのタッグで、vs RG&アラン黒木(マグナムTOKYO)でRGに高角度のギロチンで勝った)。2009年7月30日、『ハッスル・ツアー2009』(後楽園ホール)でTAJIRIと対戦した際に、場外へのダイブ時に着地に失敗し、左足かかとを粉砕骨折する大怪我を負う。怪我の治療のため興行から離脱している間にハッスル自体の経営難が表面化、ついには興行自体が休止に追い込まれてしまったことから、2010年4月の復帰会見においてHGは「これからは“芸一本”でやっていきます!」と宣言し、一旦プロレスラー引退を発表する。2010年7月25日、ゲイレスラー男色ディーノのラブコールを受ける形で、夏のDDTプロレスリングの両国大会「両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜」にて男色ディーノvsレイザーラモン(HG & RG)のハンディキャップマッチが行われ、一夜限りで復帰。ディーノとHGは同時期に関西の学生プロレス界で活動していたにもかかわらず学生時代には一度も対戦経験がなく、ディーノの15年越しの対戦要望が叶った形となった。試合後には天龍源一郎からも復帰を促すビデオレターが流され、本人も明言は避けたが本格的なプロレスラー復帰を前向きに検討する意向を示した。使用する技はプロレス界においてごくありふれたものばかりであるが、本人の芸風に合わせて技名が下ネタ風にアレンジされている。オリジナルの技に関しては、股間を強調したものが多い。

出典:wikipedia

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