三田尻中関港(みたじりなかのせきこう)は、山口県防府市にある山口県管理の港湾。隣接する三田尻港と中関港を総称して呼ばれる。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。 関ヶ原の戦い以後、毛利氏の御船手組(毛利水軍)が防府を拠点とするに当たって三田尻の地を軍港・商港として整備したのが始まり。参勤交代の経路として萩城から防府まで整備された萩往還の終着点として、長州藩(萩藩)の海の玄関口となった。また、江戸時代に長州藩は米・塩・紙を増産する「三白政策」を実施しており、これらの商取引の為に活用された。特に三田尻は、防長2ヶ国の製塩の半分を占める規模(塩業者201軒、塩の生産36万石)を誇り、播磨国赤穂に次ぐ国内第2位の大製塩地となったとなり、この頃には廻船業が発達したこともあり、西廻り航路(北前船)によって塩などが山陰・北陸・東北まで出荷されていた)。産業の変化により、1960年(昭和35年)までには防府市内の製塩業は終焉を迎え得たものの、水資源の豊富な近隣の塩田跡に工場群が進出するのにあわせ、工場生産品を輸出する港湾として設備の拡充が続けられた。昭和初期より三田尻地区への工場誘致運動が活発化しており、1933年(昭和8年)には福島人絹が、翌1934年(昭和9年)鐘淵紡績(旧カネボウ)が進出して、工場が設立された。1959年(昭和34年)6月に重要港湾となり、1964年(昭和39年)には「周南工業整備 特別地域」の指定を受けている。さらに、自動車メーカーのマツダが主力工場の一つを防府市に設置して1982年(昭和57年)9月より操業を始め、近年では中関地区を中心に自動車の輸出港としての活用がめざましい。いずれも商港(工業港)であるが、三田尻港からは防府市野島への高速艇による旅客航路がある。カネボウ向けなどの資材・製品の取引が主であったが、昨今は、トヨタ自動車の車両輸送基地としての役割も担っている。また、2009年(平成21年)2月には三田尻部分が「みなとオアシス三田尻」として仮登録され(2015年7月に正式登録)、築地にある水産総合交流施設「潮彩市場防府」を中核として、周辺の緑地帯や大型商業施設及び歴史的観光拠点と連携した港環境の整備が検討されている。水深12メートルの岸壁を持つことから、自動車運搬船の入港を可能としており、マツダ防府工場が生産している完成自動車の輸出が行われている。また、水深7.5メートルの岸壁とガントリークレーン1基(2000年設置)を持つ中関コンテナターミナルには、中国上海などとのコンテナ定期航路も設けられコンテナ貨物の取引も増えている。2009年の主な取扱貨物量は以下のとおり。
出典:wikipedia
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