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山田勝彦

山田 勝彦(やまだ かつひこ、1969年7月2日 - )は、愛知県名古屋市熱田区出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。中学時代は陸上部に所属し、投てき種目でジュニアオリンピックに出場。東邦高校時代に投手から捕手に転向し、1986年には春の選抜に出場。通算24本塁打を放ち、卒業後の1987年にドラフト3位で阪神タイガースへ入団。1989年にプロ入り初出場を果たすと、1991年からは出場機会が増え、打率1割台と打撃には苦しんだが、プロ初本塁打を含む2本塁打をマーク。5年目の1992年には正捕手として投手陣をリードし、チームの2位躍進に貢献。打撃では打率.204と苦しんだが、本塁打は前年を少しだけ上回る4本を記録した。その後は正捕手の座を手中にするかと思われたが、関川浩一・矢野燿大などの存在もあり、自身も伸び悩む。1999年には野村克也監督に守備面を酷評されるが、2000年には規定打席不足ながら打率.319をマークするなど打撃面で開眼し、同年8月24日のヤクルト戦ではプロ初のサヨナラヒットを放つ。2002年には正捕手の矢野が故障離脱をしたものの、チャンスを生かせず、逆に出場機会が減る。同年のシーズンオフに下柳剛・中村豊との複数トレードで、伊達昌司と共に日本ハムファイターズへ移籍。2003年の春季キャンプでは開始後わずか25分で故障し、12球団最速でリタイアしてしまい話題となってしまう。高橋信二の成長や中嶋聡の加入もあり、2005年に引退。1996年6月29日、ヤクルト戦の古田敦也の打席で嶋田哲也が古田の頭部付近にビーンボール球を3球続けて投げたことで古田が嶋田に激怒、山田が古田を制止しようとしたところ古田が放り上げたバットが山田に当たったことから山田も激高し応酬したため、そこから両チーム入り乱れての大乱闘に発展した。また山田は乱闘の際に古田に投げられたのを始め、トーマス・オマリーとヘンスリー・ミューレンスに殴られるなど凄まじい結果となった。山田曰く、これは古田がインサイドをえげつなく投手に要求してくるからその報復の意味もあったと後に語っている。守備面ではキャッチングに不安定さが見られ、リードも相手が打てないと見たら同じ球を要求し続けるワンパターンさ(特に山田自身が苦手としていた外角スライダーを要求することが多かった)、細かい制球力のない投手に際どいコースを要求するなど投手にあわせたリードが出来ない面も見受けられた。引退後は球団側から二軍バッテリーコーチ就任の要請があったが、これを辞退。2006年、阪神時代の監督である野村を慕って東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍バッテリーコーチに就任。2010年退任。その後は2011年から2012年までオリックス・バファローズの一軍バッテリーコーチを務め、伊藤光を育てた。2013年からは古巣・阪神の一軍バッテリーコーチ、2016年からは二軍バッテリーコーチを務める。

出典:wikipedia

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