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stampfactory大百科事典

錨(碇、いかり、アンカー、Anchor)とは船舶等を水上の一定範囲に止めておくために、鎖やロープを付けて海底や湖底、川底へ沈めて使う道具のこと。爪などが底質に刺さる事で抵抗力(把駐力)を生む物をアンカー、それ自身の重さによって抵抗力を生むものをシンカーと分類している。アンカーとシンカーでは構造や使用方法が異なり、アンカー自体も使用される場所や船舶によって大きさ種類・使用方法が異なる。船や航海を連想させるものとして、シンボル的に用いられることも多い。英語での「Anchor」(アンカー)の語源は、「[Ank]」(曲がった)に由来しており、「Ankle」(アンクル、かかと)や「Angle」(アングル、角度)なども同源の単語である。またアラスカの港湾都市であるアンカレッジは、投錨地(anchorage)に由来している。錨と錨鎖は海底面等との間で生じる抵抗により船の移動を制止する働きをする。21世紀からはほぼ全ての中大型の船舶でストックレス・アンカーが使われているため、以下の説明はストックレス・アンカーについて行なう。また、大きな錨は錨鎖によって船と結ばれるが、ヨット・ボートなど小型船ではロープが使用されており、小型錨の種類は多種に渡る。錨が爪を底質に食い込ませ、水平状態を保ったまま高い把駐力を生じさせるには、ストックの様な左右のバランス機能をストックレスアンカーに持たせる必要がある。一般的にストックレスアンカーは引き続けられると傾きや反転現象を起こし走錨してしまうため、走錨させない・走錨をすぐに察知する「守錨」作業を必要としている。錨にとって最も重要な性能が安定性であると云え、横軸-距離・縦軸-把駐力の「把駐力特性曲線」によって判断し、飽和曲線に近いグラフになるほど安定性が良いアンカーとなる。ただし、数値的基準は無い。錨鎖も海底に接していれば摩擦によって抵抗が生まれる。錨鎖の摩擦抵抗係数とは錨鎖の自重の何倍の抵抗力が生じるかを示す数値であり、泥質海底で1、砂質海底で0.75程度である。現在の錨泊方法では、錨よりも鎖による把駐力を中心に考えるため、タンカー等の大型船舶では数百メートルにおよぶ錨鎖を装備している。錨と錨鎖は船の載貨重量と船種によって決まる「艤装数」に基づいて、各船が備えるべきものが規定されている。規定は船級によって決められるが、日本では国土交通省JGの「船舶設備規程」と日本海事協会NKの「鋼船規則」がある。錨泊時に錨を伸ばす方法については船#錨泊を参照のこと。旧日本海軍の操船教本には、繰り出す錨鎖の長さL(m)は水深D(m)に対して3D+90で表され、荒天時は4D+145で表されている。これらは現在でも一般的に使用されており運輸安全委員会の調査では、特別な場合を除いてこの数値に準じていれば、錨泊時の安全性が保たれると報告されている。錨鎖を長く出すほど抵抗が増すが、繰り出しや引き込みの作業時間が多くなる事や、単錨泊の場合には船の振られる幅も大きくなる。この為、港によっては錨泊場所や鎖の繰り出す長さに制限を設けている場所もある。船が受ける風圧や波、潮流などに対して十分安全なだけの抵抗を生む錨と錨鎖が使用されることで停泊時の安全が保たれることが基本である。嵐の時には錨泊する場合には錨と錨鎖はぜひ必要な装備であるが、それ以外の通常航海時には大きな揚錨機も含めて、場所と重量の分だけ無駄となる。そのため、21世紀初頭での実際の使用環境では、錨と錨鎖だけでなく主機関による推進力によっても安全が担保できるとして、錨と錨鎖が小型軽量化されることがある。嵐や潮流などで船舶が受ける外力が錨と錨鎖の抵抗力やプロペラの推進力を上回れば、錨が錨鎖と共に引きずられる。この時、錨が傾いたり反転現象によって把駐力が小さくなり錨が移動し続ける事を「走錨」と言う。一度、走錨状態になると再び錨の姿勢が正常に戻る事は期待できないため船舶を止めることは難しくなる。嵐などの荒天時では、錨と鎖を引きずっているため、ウィンドラス(揚錨機)では引き上げられなくなる。特にこのような場合には、操船が出来ずに海難事故に至る危険性が非常に高くなる。底質にもよるが、JIS型やAC-14型では、錨泊時に爪が正常に掛からない場合があり、小さな潮の流れや弱い風ななどでも船が移動する場合があるので、この時はアンカーの打ち直しを行う。旧来のストック・アンカーではストックにより姿勢が安定しやすいため走錨が起こりにくいとされている。確認されているもっとも古い錨は、紀元前2500年から紀元前2000年頃に使われていたと考えられている。この頃の錨は、重りとなる石にロープをくくりつけて、石の重さで船をとどめておく原始的な仕組みだった。エジプト新王国時代の頃の錨は、石に複数の穴があけられており、一箇所にはロープをくくりつけ、残りの穴には木の棒などをはめて爪の役割を持たせたものが使われていたと考えられている。1927年にイタリアを支配していたベニート・ムッソリーニが国威高揚の為に、ローマ第3皇帝カリグラ(在位A.D37-41)が建造したとされる船を見つけるために、ローマ郊外にあるネミ湖から水を全て排出し発掘を行った。3年後の1930年、巨大船と共に2つの錨が出土し、1つは鉛のストックを持つ木製の碇で、1つは木板で覆われた鉄製の錨であった。これらの船と錨は、出土した地層から紀元1世紀頃の物である事が分かっている。鉄製錨は300kgを超える大きなもので、更にストックが可動式で取り外す事ができ、この時代に現在の錨に通じるものが既に確立されていた事がわかる。また、この鉄錨は、現存する最古の鉄製錨としてローマ文明博物館に保管してある。これらの事から、紀元前2-3世紀には鉄製錨が使われていたであろう事が推測できる。紀元前6世紀頃にはすでにストック・アンカーが使われていたが、18世紀末になると、長く使われていたストック・アンカーに代わり、ストックのないストックレス・アンカーが発明され、現在のアンカーの主流となっている。古くは木と石を用いた錨を使用していたが、元々は中国から伝わった錨を基にしており、和錨と云われる鉄製の錨も錨として使用はするものの、戦船などで敵の船へ乗り込む際に縄の先につけてかぎ爪として使用する事もあったようである。石製のものは「碇」、金属製のものは「錨」と使い分けていた。明治大正時代には、海軍の近代化を計るために海外から艦船を購入しているが、これらの船舶と一緒にマーチンスやトロットマンス等数多くの錨が日本へやって来ている。現在使用されているJIS型の元となるホールスも大正末期にはパテントアンカーとして日本へ輸入されていた。昭和29年に起きた青函連絡船洞爺丸事故により錨の性能への関心が高まり日本独自の錨開発が始まる。当時国鉄では国鉄型としてJNR型アンカーを開発し、洞爺丸の後継船をはじめ多くの船舶へ広めようとした。しかし、性能面での問題や青函連絡船の廃止、国鉄の民営化など様々な事情から現在ではほとんど使用されなくなっている。JNR型アンカーの姿は函館市青函連絡船記念館摩周丸や独立行政法人航海訓練所の大成丸で見る事が出来る。海上自衛隊では創設と共に新型アンカーとして錨の開発に乗り出し、日本独自の錨としてあけぼの (護衛艦・初代)に搭載している。しかし、性能面において海外の錨になかなか迫れず、正式な名称も与えられずに、現在では海上自衛隊第1術科学校及び海上自衛隊第2術科学校の中庭や校庭にモニュメントとして飾られるのみとなっている。日本各所にある商船学校や研究所、錨の製造工場なども錨の開発を行い、神戸大学ではKS-1(現KS-11)アンカーを開発し、練習船深江丸に搭載している。また、尾道錨製造株式会社ではONO-45として会社独自の錨を開発したが、尾道錨が廃業してしまったため使われる事無く消えてしまった。近年では有限会社中村技研工業が第3世代と称してDA-1型アンカーを開発し、フェリー等の一般商船で使われるようになっている。錨はその形状や大きさによって使用する場所や使い方などが区別され、ストックの有無や性能によっても種類が大別される。各種の旗や紋章、徽章で、海事を象徴する意匠として錨が用いられる。世界各国の海軍や沿岸警備隊、民間海運会社の帽章に意匠を与えた。日本の海上自衛隊でも帽章に錨に鎖がからまった「からみ錨」が用いられている。地図における港湾の記号は錨をモチーフにしており、重要港、地方港、漁港で記号の表記が異なる。有名なアメリカン・コミックスのキャラクターポパイの腕には、錨の刺青が描かれており、このキャラクターの特徴ともなっている。腕に描かれた錨の刺青がポパイが水兵(もしくは船乗り)である事を連想させる。

出典:wikipedia

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