獅子舞(ししまい)とは、伝統芸能の一つで、祭囃子にあわせて獅子が舞い踊るものである。また本項では、中国の獅子舞(舞獅)、いわゆるライオンダンスについてもあわせて解説する。多くは大陸からもたらされたとされているが、起源は中国説やインド説など各説あり定かではない。日本の獅子舞は、全土で行われておりバリエーションは多岐にわたる。日本で最も数が多い民俗芸能といわれている。日本の獅子舞は、2人以上の演者で1匹の獅子を演じる「二人立の獅子舞」と、1人で1匹の獅子を演じる「一人立の獅子舞」に分類される。「二人立」は古代に成立した外来の舞楽・伎楽(ぎがく)系統、「一人立」は中世末から近世初期にかけて成立した風流(ふりゅう)系統といった芸能史的に異なる系統に分かれる。獅子の頭部(獅子頭:ししがしらと呼ばれる)は木製が多いが、和紙による張子のものや最近では発泡スチロールによるものもある。舞方は諸流派があり風流系(ふりゅうけい)、神楽系(かぐらけい)などが知られるが、他にも多くの舞があり同じ物は二つとないとも言える。伎楽系(神楽系)の獅子舞は西日本を中心として全国的に分布し、胴体部分に入る人数で大獅子、中獅子、小獅子と区分される。大獅子では獅子を操作する人以外に囃子方も胴体に入って演奏する。小獅子では、獅子頭を操作する1人だけが胴体も兼ねる。正月に見る獅子舞や神楽での獅子舞をはじめ、一般に獅子舞というとこの系統の獅子舞を指すことが多い。起源は大陸から伝来したものと考えられ、現在の中国獅子舞とも繋がるものと考えられる。沖縄の獅子舞は沖縄県に主に分布している。中国風であり、2人が1匹を担当する伎楽系である。風流系の獅子舞は関東・東北地方に主に分布している。1人が1匹を担当し、それぞれが腹にくくりつけられた太鼓を打ちながら舞う。東北の一部には7~8頭で1組の鹿踊もあるが、もっとも多いのは3匹1組の三匹獅子舞であり、東京・埼玉などのかつて武蔵国と呼ばれた地域の農山村では一般的な郷土芸能・民俗芸能となっている。3匹のうちの1匹は女獅子(雌獅子)と呼ばれ、雄獅子が雌獅子を奪い合う女獅子隠しという演目を持つところが多い。伴奏は、篠笛と竹でできたささらという楽器である。「ささら」をする人は舞庭の四方に配置され、この楽器を奏する。「ささら」を欠く三匹獅子舞もある。起源は西日本の太鼓踊りあるいは陣役踊りといわれ、中心にいる数人が頭上のかぶり物を獅子頭に変えたものが始まりだろうという説が優勢であるが、東国の風流系の獅子舞はもっと古くからある日本古来の獅子舞であり、獅子頭(ししがしら)も本来は鹿や猪を模したものであったという説も根強い。獅子頭は通常木製(桐製)であり、獅子以外に竜頭のものや鹿頭のものもある。風流系獅子舞の源流とされる甘楽町秋畑の伝承では、「獅子はインドで人を食べて生きていたが、インドに人間が少なくなってきたので大和の国に行こうとしたところ、それを察知した日本の神が狐を天竺の権田河原に遣わし、獅子に『大和では人を食べる代わりに悪魔を退治すれば食べ物を与えられ、悪魔祓いの神としてあがめられるだろう』と諭し、狐が先導役になって日本にやってきた」とされる。演じられる際に、狐役が獅子舞を先導することから、この系統の獅子舞は稲荷流と呼ばれるようになった。中国において獅子舞のことを「舞獅(、、)」と呼ぶ。また、英語圏にチャイナタウンが多いこともあり、「ライオン・ダンス(lion dance)」と呼ぶ際は、多くの場合こうした中国式のものを指している。『漢書』にとあり、これが最古の記録ではないかともいう。現在演じられる形は清の時代に確立された形で、北方の北獅と南方の南獅の系統(洪家拳の武術家で伝承され、五形拳から成り立つ)があり、競技もある。獅子頭と前足に1人、後ろ足と背中に1人の2人と楽団で構成されている。旧正月や商店の開店祝いなどの祝いで「招福駆邪」として演じられる。中国式の獅子舞は日本においては中華街や中国・台湾と関係の深い自治体・施設に獅子舞団が設置され(例 横浜)ありイベントごとに演じられる。ジャッキー・チェンの映画ヤングマスター 師弟出馬では南方のものが描写されている。南方獅には、東南アジアでも華僑らによって行われていた勇猛で力強い仏山スタイル(仏山獅または瑞獅、劉備獅)と軽快で聡明な鶴山スタイル(鶴山獅または醒獅、関羽獅)がある。他に猛獅(張飛獅)がある。
出典:wikipedia
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