アリスター・オーフレイム(Alistair Overeem、1980年5月17日 - )は、オランダの男性総合格闘家、キックボクサー。イングランド・出身。アムステルダム在住。ジャクソンズMMA所属。元Strikeforce世界ヘビー級王者。元DREAMヘビー級暫定王者。K-1 WORLD GP 2010王者。日本でのニックネームは「ダッチ・サイクロン」であり、PRIDE時代に笹原圭一が考案した。日本国外では「デモリションマン」(「破壊者」の意)と呼ばれる。総合格闘家ヴァレンタイン・オーフレイムは実兄。日本における芸能活動のマネージメントはよしもとクリエイティブ・エージェンシーとなっている。破壊力とスピードを兼ね備えたストライカー。以前は大幅な減量のためにすぐにスタミナ切れを起こし、試合開始直後の数分間は攻撃的であるが、それを過ぎると途端に動きが悪くなることがあったがウェイトアップした現在では大幅に改善されてきている。また勝敗にかかわらず一本・KO決着が多く、長い手足を生かしたパンチと膝蹴りで多くのKOを奪い、得意の打撃を活かしてK-1ルールでも活躍している。K-1ルールの試合ではMMAルールの試合と同じように相手を投げ飛ばす反則を犯すことが多くあり、特にピーター・アーツ戦では故意に投げ技を連発したことで一部のファンから批判を浴びた。運営側からは崩しであるとして問題はないとされていたが、業務停止処分中の角田信朗に代わってK-1特別競技統括プロデューサーを務めた石井和義から「アリスターの投げ技は反則」と明言された。また、膝蹴りを得意としているが、K-1ルールでは「首相撲からの膝蹴りは1回まで」と定められているため、エヴェルトン・テイシェイラ戦、ジャバット・ポトラック戦と2大会続けて首相撲に近い状態からの膝蹴りでKO勝ちしたことに対して、「アリスターの反則負けではないか」という抗議を受けている(一度手を離して首相撲をセットし直しているようにも見えるためか結果は覆らなかった)。その後K-1はそういったアリスターやシュルトの体格を生かした膝蹴りの対策としてなのか立ち技格闘技としては異例中の異例ともいえる『首相撲からの膝蹴りが完全に禁止』となったが、それをモノともせずにK-1王者となった。サブミッションの技術にも長けており、特に腕力と体格を活かしたフロントチョークを得意技とする。2005年1月にはアブダビコンバット欧州予選では全試合ギロチンチョークで一本勝ちし、優勝した(2005年5月の世界大会はPRIDE専念を理由に欠場した)。1980年、ジャマイカ人の父とオランダ人の母の間にイングランド・に生まれる。父母が離婚したため、6歳の頃、母と兄ヴァレンタインと共にオランダのユトレヒト州アメルスフォールトに移住。幼少期から柔道、陸上競技、バスケットボールなどのスポーツを経験し、15歳のとき、兄の紹介で、クリス・ドールマンの下で総合格闘技のトレーニングを開始した。1999年10月28日、リングスKOKトーナメントで初来日。コーチキン・ユーリに判定負け。2000年にゴールデン・グローリーに加入。2002年12月23日、PRIDE初参戦となったPRIDE.24でヴォルク・アターエフと対戦し、膝蹴りでKO勝ち。2003年8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦のミドル級(-93kg)グランプリ1回戦でUFC代表のチャック・リデルと対戦し、序盤は圧倒していたが、スタミナ切れで逆転KO負け。2005年4月23日、PRIDEミドル級グランプリ1回戦でビクトー・ベウフォートと対戦し、フロントチョークで一本勝ち。6月26日、2回戦でイゴール・ボブチャンチンと対戦し、フロントチョークで一本勝ち。8月28日、準決勝でマウリシオ・ショーグンと対戦し、マウントパンチでTKO負けを喫した。2006年2月26日、PRIDE.31でセルゲイ・ハリトーノフと対戦し、試合開始直後にテイクダウンを奪取。ここでハリトーノフは受身を取り損ねて肩を脱臼。最後はグラウンドでの膝蹴りの連打でTKO勝利。しかし、その後のPRIDEではファブリシオ・ヴェウドゥム、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ、ヒカルド・アローナ、マウリシオ・ショーグンとブラジル人総合格闘家相手に4連敗。2007年6月23日、IT'S SHOWTIME(K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMと同時開催)でMMAルールの試合を行ない、マイケル・クナップに変形フロントチョークで一本勝ち。2007年9月17日、HERO'S初参戦となったHERO'S 2007 ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦のスーパーファイトでセルゲイ・ハリトーノフと再戦し、TKO負け。2007年11月16日、初代Strikeforce世界ヘビー級王座決定戦でポール・ブエンテロと対戦し、ボディへの膝蹴りでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。2008年6月15日、DREAM初参戦となったDREAM.4でイ・テヒョンと対戦し、開始36秒パンチラッシュでTKO勝ち。試合後のリング上でミルコ・クロコップとの対戦を要求した。2008年7月21日、DREAM.5でマーク・ハントと対戦し、ハントの打撃を受けそのままダウン気味になぎ倒されるが、追撃に来たハントに対し下からV1アームロックを仕掛け一本勝ち。試合後のリング上で再度クロコップとの対戦を要求した。2008年9月23日、DREAM.6でミルコ・クロコップと対戦。組みの状態からアリスターの膝蹴りが偶発的にミルコの下腹部へ入り試合が止まった。試合再開後も同じようにアリスターの膝蹴りがミルコの下腹部に再度入ったため、ミルコがこのアクシデントにより右の睾丸が体内に陥没してしまい手術を受けないといけないほどの重症を負い試合続行不可能となりノーコンテストとなった。2009年10月25日、DREAM初のケージ開催となったDREAM.12のメインイベントでジェームス・トンプソンと対戦し、開始33秒フロントチョークで一本勝ち。試合後には「2010年4月にエメリヤーエンコ・ヒョードル選手と対戦したい」とコメントした。2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で藤田和之と対戦し、左膝蹴りでKO勝ち。藤田はエプロンサイドから自力で起き上がれないほどのダメージであった。試合後の記者会見でエメリヤーエンコ・ヒョードルとの対戦を熱望した。2010年5月15日、のStrikeforce世界ヘビー級タイトルマッチでブレット・ロジャースと対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収め王座初防衛に成功した。2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で行なわれたDREAMヘビー級暫定王座決定戦でトッド・ダフィーと対戦し、パンチラッシュでKO勝ちを収め王座獲得に成功した。2011年6月18日、のワールドグランプリ1回戦でファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦。互いに相手の長所を潰し合う展開となるが、ファブリシオが試合中に足をひねるなど負傷し、その結果アリスターの打撃を嫌い自らオクタゴンに寝転がるシーンも目立ったためか判定勝ちを収めた。しかし、この試合後に大会を運営するズッファ社と自身が所属するゴールデン・グローリーが選手の契約形態をめぐり対立し、SFを解雇される。同時にアリスターが保持していたStrikeforce世界ヘビー級王座も剥奪となった。2011年9月21日、ゴールデン・グローリーを離脱。エクストリーム・クートゥアに移籍した。2011年12月30日、UFC初戦となったUFC 141でブロック・レスナーと対戦。レスナーの腹に得意の膝蹴りを連打、防戦一方のレスナーに左ミドルキックをクリーンヒットさせしゃがみこんだレスナーにパウンドを浴びせ1RTKO勝ち。UFC世界ヘビー級王座への挑戦権を獲得した。2012年5月26日のUFC 146でジュニオール・ドス・サントスの持つUFC世界ヘビー級王座へ挑戦する予定だったが、抜き打ちで行われたドーピング検査で規定値の2倍のテストステロンが検出されたため挑戦権を剥奪された。これに対しアリスター側は医師の確認と了承を得て、テストステロンが含まれていた抗炎症薬を注射したと主張したが、ネバダ州アスレチック・コミッションはアリスター側の主張を退け、薬物検査日の3月27日にさかのぼり9ヶ月間の出場停止処分を課した。2013年2月2日、UFC 156のヘビー級王座挑戦者決定戦でアントニオ・シウバと対戦し、序盤を優勢に進めるも3Rで逆転KO負けを喫した。2013年8月17日、でヘビー級ランキング8位のトラヴィス・ブラウンと対戦。序盤3分間はパンチと膝蹴りのコンビネーションでブラウンを圧倒し、右膝蹴りをブラウンのボディに突き刺してダウンも奪ったが1R後半に突如失速。脚が止まったところに前蹴りを顎に受けてしまいダウンを奪われ追撃で逆転KO負けを喫した。2014年2月1日、UFC 169でヘビー級ランキング10位のフランク・ミアと対戦し、3R判定勝ち。2014年4月、ジャクソンズMMAに移籍した。2014年9月5日、にてベン・ロズウェルと対戦し、1RTKO負けを喫した。2014年12月13日、 UFC on FOX 13でヘビー級ランキング15位のステファン・ストルーフェと対戦し、1RKO勝利を収めた。2015年3月14日、UFC 185でヘビー級ランキング8位のロイ・ネルソンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2015年12月19日、UFC on FOX 17でヘビー級ランキング2位のジュニオール・ドス・サントスと対戦し、左フックでダウンを奪ってからのパウンドでTKO勝利。2016年5月8日、でヘビー級ランキング5位のアンドレイ・アルロフスキーと対戦し、パウンドでTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2001年2月4日、K-1オランダ大会でエロル・パリスにKO負け。2004年5月30日、一撃でグラウベ・フェイトーザと一撃キックルールで対戦し、右アッパーで1RKO負け。2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜でバダ・ハリとK-1ルールで対戦し、膝蹴りからの左フックでダウンを奪い、最後は左フックで再度ダウンを奪いKO勝ち。2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAのスーパーファイトにて昨年の王者レミー・ボンヤスキーとK-1ルールで対戦。1R、2Rとプレッシャーをかけペースを握るも、3Rにダウンを奪われ判定負け。2009年9月26日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16に推薦枠にて出場。ピーター・アーツと対戦し、アーツの攻撃をくらいながらも怯むことなくパワーで圧倒して判定勝ちで準々決勝進出。しかし、試合中に何度も反則の投げ技を連発したことに批判が起きた。2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALに出場。この大会の開会式前にて、業務停止処分中の角田信朗に代わってK-1特別競技統括プロデューサーを務めた石井和義によるルール説明が行なわれ、「開幕戦でアリスター選手がやったような投げ技は反則です」と明言した。準々決勝でエヴェルトン・テイシェイラに左膝蹴りで1RKO勝ち。続く準決勝では昨年の大晦日に対戦したバダ・ハリと再戦。1Rに2度のダウンを奪われKO負け。大会後、谷川貞治イベントプロデューサーはテイシェイラ戦で掴んでから膝蹴りを2回繰り出しKOしたことについてテイシェイラ陣営から「首相撲からの膝蹴りを2回やったのだからアリスターの反則負けだ」という抗議を受けたことについて、「反則ギリギリだと思います。掴んだまま二回の攻撃はダメなんで、微妙です。」とコメントした。その一方、角田信朗は自身のブログで「二発の膝の間に間違いなく首相撲状態は一瞬解除されてるんであれは反則ではありません」と見解を載せている。2010年4月3日、K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAでジャバット・ポトラックと対戦し、右膝蹴りでKO勝ち。しかし、またしても首相撲からの膝蹴りだという抗議がポトラック陣営から寄せられたが、結果は覆らなかった。2010年10月2日、K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16でベン・エドワーズと対戦。この大会から首相撲からの膝蹴りが完全に禁止となったが、パンチで3度のダウンを奪いKO勝ち。2010年12月11日、K-1 WORLD GP 2010 FINALで準々決勝のタイロン・スポーン戦で序盤やや苦しんだものの、徐々にペースを掴んでスタンディングダウンを奪い判定勝ち。準決勝のグーカン・サキ戦はオーフレイムの左ミドルキックでサキが右肘を負傷、試合続行不可能となりKO勝ち。決勝のピーター・アーツでは開始1分でKO勝ちを収め優勝した。2008年頃からの急激で異常な筋肉の発達ぶりから、格闘技ファンからはドーピングを指摘されている。前述のレミー・ボンヤスキー戦の前日会見において、アリスターのパフォーマンスの直後にはレミーから直接「君は筋肉を作るためにずいぶんドラッグを飲んでいるようだが、ここで僕はアンチ・ドーピングを主張させてもらうよ」と挑発された。これに対しアリスターは「オランダはドラッグにリベラルな国なんだ」と笑顔で応じた。また、インタビューでステロイド、ドーピングの使用疑惑について聞かれた時には「俺は2006年頃まで93kg級で戦うために厳しい減量をしていた。2007年からは本格的にヘビー級に転向したことによって減量苦から解放されたし、体重を気にせず筋力トレーニングに励むことが出来るようになったから一気に筋肉が付いただけだ」とコメントしている。また、ヘビー級専念後は一日8食という驚異的な量の食生活をしており、「3時間おきに食事をして、その合間に練習と睡眠をとっていることが俺の肉体の秘訣だ」と語っている。なお、日本の格闘技大会ではアメリカの格闘技大会などと違って団体から独立した中立的なコミッションが存在しないため、ドーピング検査の甘さが指摘されており、アリスターはStrikeforce世界ヘビー級王者でありながら急激に筋肉が発達した2008年以降はアメリカの大会に出場していないため、ドーピング疑惑が深まっていた。一部の人間はこの頃の発達した筋肉だった頃のアリスターを皮肉を込めてステロイドとアリスターをかけたステスターと呼んでいた。2010年5月のStrikeforceで3年ぶりのアメリカでの試合となったが、大会開催地のミズーリ州アスレチック・コミッションは大会出場選手全員に薬物検査を義務付けてはおらず、出場選手の中からランダムで選ばれた選手だけが検査を受け、陽性反応が出た場合にのみ公表することになっているため、疑惑は晴れないまま終わった。また、アリスターはこの試合の1か月前に日本での試合では体重121.3kgだったが、この試合では減量が必要ないヘビー級契約にもかかわらず体重が114.7kgと減っており筋肉も萎んでいたため、検査を回避するためにこの時だけドーピングを止めたという疑惑が上がった。その後、UFC 146の抜き打ち薬物検査にてアリスターの尿サンプルから常人の14倍もの高濃度のテストステロンが検出されてドーピングが発覚した。また、UFC 156の血液検査で検出されたアリスターのテストステロン値は1dlあたり179ngで、これは一般男性の平均の二分の一ほどであり、トレーニングさえままならないような数値である。このように異常に低いテストステロン値が検出された理由として、ステロイド濫用による副作用によってアリスターのテストステロンを分泌させる能力が損なわれてしまった事が推定されている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。