リック・ウェイクマン(Richard Christopher Wakeman、1949年5月18日 - )はイギリス出身のキーボード奏者、作曲家、タレント。ロンドン生まれ。ロックグループイエス(YES)にかつて在籍していたことでも知られる。リック・ウェイクマンはPerivale(西ロンドン、ミドルセックス)の郊外生まれ。6歳からピアノを習い始め、ドレートンマナーグラマースクールに通う。高校を卒業後地元のバンド「Atlantic Blues」に加入。ロンドンの王立音楽アカデミーに通い、ピアノ教師になるべく学んだ。第二選択楽器はクラリネットである(後にアルバム「ヘンリー八世の六人の妻」にて少々、クラリネットを披露している)。しかし、セッション・ミュージシャンとして活躍する姿勢に対して反対が強かったため、中退することとなった。このセッション経験が契機となり、ポピュラー音楽の道に転じる。在学中にはデヴィッド・ボウイの1970年作品『スペイス・オディティ』のレコーディング、のレコーディングやライヴを含む多くにセッション参加している。1971年にはキャット・スティーヴンスのシングル「雨にぬれた朝」にセッション参加し、ウェイクマンの印象的なピアノ演奏の功績もあって大ヒットしている。1970年、に加入。その後、1971年にトニー・ケイの後任としてイエスに加入。名作と呼ばれる『こわれもの』、『危機』、『海洋地形学の物語』でキーボードを担当する。これらが音楽的にも商業的にも大成功を収め、またイエス加入後に発表したソロ・アルバム『ヘンリー八世の六人の妻』、ジュール・ヴェルヌの名作SF小説『地底旅行』(地底探検)をテーマにしたライヴ・アルバム『地底探検』もヒットしたこともあって、リック・ウェイクマンの名はプログレッシヴ・ロックのファンに知れ渡ることとなる。しかし、音楽性の相違を初め様々な理由から1974年半ばにイエスを脱退し、ソロ活動に転じるが、1976年末にイエスに再加入。その後幾度となく脱退と加入を繰り返している。近年の主な活動としては、2009年5月1日及び2日にはヘンリー8世に縁の深いハンプトン・コート宮殿において、「ヘンリー八世の六人の妻」をオーケストラや合唱隊との競演で完全再現するライブを行った。2010年、元・イエスのジョン・アンダーソンとのデュオを「プロジェクト360」の名義でスタートさせ、10月 - 11月にイギリス国内をツアーしている。また、2人の連名アルバムも発表している。2011年には、ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビンとの活動が計画されていたが長らく実現せず、イエスの盟友クリス・スクワイアの死去をきっかけとして2016年に始動。2017年のツアーが発表された。彼は本国イギリスでは、コメンテーター、司会者、評論家、コメディアンとしてもテレビに出演することが多く、イギリスでは有名なタレントである。一方、タクシー会社、映画撮影用にクラシック・カーをレンタルする会社など数十社を経営する実業家でもあり、一時はイングランドのプロのサッカー・チームのオーナーでもあった。リック・ウェイクマンの音楽には、小さい頃から習ってきたクラシック音楽の素養が出ている。ソロ作品ではカントリーやブルーグラスの要素も感じられる。特に1970年代の作曲や演奏で、その傾向が色濃い。運指の速い流麗な演奏は、当時いち早くスター・キーボード・プレイヤーとなっていたキース・エマーソンに迫る実力とカリスマ性を備えていた。初期の作品『ヘンリー八世の六人の妻』、『地底探検』、『アーサー王と円卓の騎士たち』は世界的に高く評価されている。ソロアルバムの作品数は非常に多いが、特に1980年代以降のデジタルシンセサイザーを多用した作品群は、成功を収めた作品は少ない。1990年代中ごろから往年のミニモーグを多用するようになり、現代的なデジタルサウンドと全盛期の個性を融合した。また、2006年には自身の倉庫より発掘した1970年代の鍵盤楽器をフィーチャーした『RETRO』という作品を発表し、個性の健在を印象付けている。イエスに加入した頃から一貫して「マルチ・キーボード」を得意としている。自分の周囲にピアノ、ハモンドオルガン、RMIエレクトラピアノ、クラビネット、メロトロン、ミニモーグといった各種キーボードを積み上げ、楽曲の展開に沿ってその時に必要な音が出る楽器に手を移動させ、必要な音を導き出すという演奏形態は、リック・ウェイクマンが確立したと言って良い。1970年代前半は、多方向に手を伸ばす動きを優雅なものとするため、長いケープを着用していた。ケープは今も彼を象徴する衣装であり、21世紀になってからもオファーにより着用したことがある。キース・エマーソンとは似通ったルーツを持ち、楽器の並べ方や4度音程の多用などの共通点が多いが、現代音楽やモダンジャズ、ブルースの影響がほとんどないところがウェイクマンらしい特徴。音域の広いアルペジオ、独特の短前打音、指くぐりや同音連打を頻繁に使う。ジョン・ロード同様に和声的短音階を使ったエキゾチックなフレーズもよくみられた。音数は多いが、逆にほとんど演奏しない部分を設けることでダイナミクスを演出する工夫が見られる。ミニモーグを使用する場合にはほとんどピッチ・ベンダーやビブラートのホイールは使わず、フィルターの開き具合をこまめに調節しながら演奏するのが彼の奏法の特徴でもある。幾つかのエピソードが示すとおり、自己表現に対して過度と思われるほど積極的な面があると言われている。イエスのメンバーとして1973年に制作に参加した『海洋地形学の物語』の内容と出来は、リック・ウェイクマンがイエスを脱退する主要な理由とされているが、脱退時にこの作品に関して音楽マスコミからコメントを求められたリック・ウェイクマンは、「最悪」「興味が無い」という意味の発言を残している。このアルバム発表後のツアーでは、とあるコンサート中にカレーやビールを飲食しながら演奏していたというエピソードがある。このエピソードはインタビュー本「イエス・ストーリー(ティム・モーズ著)」や「ザ・ストーリー・オブ・イエス(クリス・ウェルチ著)」で紹介された。また、この時期は人気ロック・グループのメンバーとして、素行に関する話題の提供人物として捉えられていた面がある。(当時の)イエスのメンバーの中で唯一菜食主義者では無いことや過度の飲酒などが脱退の理由として報道されたことがあり、マスコミに対して敵対的な感情を有していたことが推察される(なお、これらの発言を自ら再現したビデオ・インタビューがドキュメンタリー・ビデオ「イエス・イヤーズ」に収録されている)。リック・ウェイクマンは(自らも認めている)アルコール中毒と不摂生によって、20代から何度か心臓発作に襲われていた。リックは元「Page3」のモデルだったニーナ・カーターと結婚。しかしその後離婚。キリスト教に再起を誓った。リックは情熱的なフットボールファンであり、彼が子供であった時から、ブレントフォードFCをサポートしていた。その後、西ロンドンクラブの責任者になった。現在はマンチェスター・シティFCをサポートしている。他のロック・ミュージシャン(例えばピーター・フランプトンとポール・サイモン)と一緒に、1970年代後期にアメリカのサッカークラブ「フィラデルフィア フューリー」を所有していた。彼は英国の保守党の強い支持者であって、党のために2004年9月にコンサートを実行した。彼の「アーサー王と円卓の騎士」の一部が、1979年からBBCの「Election Night Coverage」への主題曲として使われた。彼の子供たち(アダム・ウェイクマン、オリバー・ウェイクマン、オスカー・ウェイクマン、ジェンマ・ウェイクマン、ベン・ウェイクマン、アマンダ・ウェイクマン)は父の音楽性を継承した。次男のアダム・ウェイクマンとは1990年代にユニット「ウェイクマン・ウィズ・ウェイクマン」を結成し活動していた。アダムはイエス加入を打診されたこともあり、イギリスの1公演のみゲスト出演したこともある。また、時々、リック・ウェイクマンのツアーにサポート・キーボードで参加している。現在はオジー・オズボーン、ブラック・サバスのサポートメンバーとして活動している。長男・オリバー・ウェイクマンは自己のバンドやスティーヴ・ハウとのアルバムを制作する一方、2007年より父親に代わってイエスのツアーに参加している。娘のジェンマは彼のソロ・アルバム "Amazing Grace" で歌唱している。リック・ウェイクマンは本国イギリスにおいて自伝書「Say Yes」を出版しており、その内容からも彼とイエスにまつわるいろいろなエピソードを知ることができる。現在はイギリスのマン島に自宅とスタジオを構え、家族と平穏に暮らしている。かつてソフト・マシーンのメンバーだったこともあるアラン・ウェイクマンは従兄弟である。1974年のイエスのアメリカ公演中、リックの楽屋を訪ねてきた David Biro という男が、自分の開発中のキーボードを持ち込んでリックにプロモーションを行った。それが気に入ったリックは開発資金の援助を行うことになり、それがという製品になった。リックはそれをイエスのアルバム「トーマト」とそのアルバムのツアーで使用している。フリーメイソンの会員でもある。ロンドンにあるフリーメイソンのロッジ「Chelsea Lodge No.3098」に所属し、かつては同ロッジの第110代の「マスター」(最高幹部)の職にあった。同ロッジでの各種セレモニーの司会や余興演奏も担当している。ソロ・コンサート
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