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近藤昭一

近藤 昭一(こんどう しょういち、1958年5月26日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(7期)、民進党副代表、リベラルの会代表世話人、立憲フォーラム代表。環境副大臣(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、衆議院総務委員長、衆議院懲罰委員長等を務めた。父は元名古屋市議会議員。弟も名古屋市議会議員を務めたが在職中に死去(いずれも中村区選挙区選出)。愛知県名古屋市中村区生まれ。愛知県立千種高等学校、上智大学法学部法律学科卒業。大学時代には、中国の北京語言学院へ留学。卒業後、中日新聞社に入社した。1994年、前年に結党した新党さきがけに入党し、さきがけ愛知準備会代表に就任する。1996年、さきがけを離党し旧民主党の結党に参加。同年の第41回衆議院議員総選挙に愛知3区から出馬し、選挙区では新進党の吉田幸弘、自由民主党の片岡武司の後塵を拝したが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、初当選した。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、愛知3区で自民党の片岡武司を破り、再選。2001年、「2001政権奪取大作戦/明日があるさ隊」の隊長に就任。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、かつて敗れた吉田幸弘が自民党公認で出馬したが、吉田に3万票超の差をつけ、3選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、小泉旋風が吹き荒れる中で愛知3区の議席を守るが、自民党新人の馬渡龍治の比例復活を許した。同年よりリベラルの会代表世話人を務める。2007年、格差是正に取り組む議員有志の会を結成し、座長に就任する。2008年より国土審議会委員。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、馬渡に比例復活すら許さない大差をつけ、5選。選挙後、衆議院総務委員長に就任した。2010年、菅第1次改造内閣で環境副大臣に任命され、菅第2次改造内閣まで務める。野田内閣発足に伴い、環境副大臣を退任した。2012年の第46回衆議院議員総選挙では、愛知3区で自民党新人の池田佳隆に敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、6選。選挙後、衆議院懲罰委員長に就任。2013年、日本国憲法第96条の改正に反対する超党派の議員連盟「立憲フォーラム」発足の呼びかけ人を務め、議連の代表に就任した。2014年の第47回衆議院議員総選挙では、愛知3区で当選し7選。2015年の民主党代表選挙では長妻昭の推薦人に名を連ねるが、長妻は1回目の投票で最下位に終わった(当選者は岡田克也)。2015年1月、民主党幹事長代理に就任。2016年3月27日、民主党と維新の党が合流し、改革結集の会の一部議員や無所属議員なども参加して民進党が結成される。同党の幹事長代理に就任。2016年9月、民進党副代表に就任。アジア外交への思いは強く、1992年に行われた日中国交正常化20周年記念式典に出席した際、「目先の利益にばかり走り本当の政治をしていない日本の政治家で、この中国ときちんとやっていけるのだろうか。アジアの平和と発展にきちんと寄与していかなくては日本の未来はない」と決意し、政治家を志した。また「日本は朝鮮半島の平和と安定に寄与し、この地域の発展につくすべきと考えます」と主張している。2009年5月6日に平頂山事件について日本政府に公式謝罪を民主党の訪中した両院議員団24名で要求した。

出典:wikipedia

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