『南極物語』(なんきょくものがたり)は、1983年(昭和58年)公開の日本映画(実写)。南極観測隊の苦難と そり犬たちの悲劇を描いている。南極大陸に残された兄弟犬タロとジロと越冬隊員が1年後に再会する実話を元に創作を交え、北極ロケを中心に少人数での南極ロケも実施し、撮影期間3年余をかけ描いた大作映画である。1971年の『暁の挑戦』以来、フジテレビが久しぶりに企画製作、学習研究社が半分の製作費を出資して共同製作し、日本ヘラルド映画と東宝が配給。フジサンケイグループの大々的な宣伝に加え、少年、青年、成人、家庭向けの計4部門の文部省特選作品となり、映画館のない地域でもPTAや教育委員会がホール上映を行い、当時の日本映画の興行成績新記録となる空前の大ヒット作品となった。1980年代に何度もテレビ放送され、21世紀に入りデジタル・リマスターでの放映の他にも、ケーブルテレビで多く放送されている。本作の成功の勢いはその後の『ビルマの竪琴』や『子猫物語』などが続き、1980年代以降に続くフジテレビ製作映画の起点ともなった作品である。キャッチコピーは、『どうして見捨てたのですか なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか』。1956年(昭和31年)文部省の南極地域観測隊第1次越冬隊が、海上保安庁の運航する南極観測船・宗谷に乗り南極大陸へ赴いた。1年以上に渡る南極生活の中で、隊員たちは様々なトラブルや経験に出くわす。1958年(昭和33年)2月を迎え、第2次越冬隊と引継ぎ交代するため再び宗谷で南極大陸へ赴いたが、宗谷側は長期にわたる悪天候の為に南極への上陸・越冬断念を決定。その撤退の過程で第一次越冬隊の樺太犬15頭を、無人の昭和基地に置き去りにせざるを得なくなった。極寒の地に餌もなく残された15頭の犬の運命、犬係だった二人の越冬隊員の苦悩、そして1年後に再開された第3次南極地域観測隊に再び志願してやってきた隊員の両者が、南極で兄弟犬タロとジロに再会する。第1次観測隊に参加した村山雅美が監修をおこなっている。モデルとなった二人の隊員(菊池徹・北村泰一)も映画化に併せ、回想記(菊池徹 『犬たちの南極』(中公文庫、1983年5月)と、北村泰一 『南極第一次越冬隊とカラフト犬』(教育社、1982年12月)を刊行している。なお第1次越冬隊隊長は西堀栄三郎で、『南極越冬記』(岩波新書、初版1958年)があり、半世紀を越え重版されている。三者とも資料提供などで協力している。潮田暁(高倉健)のモデルとなった菊池徹は実際には3次隊には参加しておらず、越智健二郎(渡瀬恒彦)のモデルとなった北村泰一のみが犬たちとの再会を果たしているが、劇中では、潮田暁(高倉健)と越智健二郎(渡瀬恒彦)が第3次観測隊に参加してタロ・ジロと再会している。フジテレビでは1969年の『御用金』『人斬り』から映画製作に進出していたが、1971年の『暁の挑戦』が大赤字となってからは中断していた。しかし映画の放送権料が高騰する中で、1回か2回の放送のため数億円を投じるならば映画製作をして自社のライブラリーにした方が効率的という判断に傾く中、1979年夏に放送した蔵原惟繕監督の『キタキツネ物語』が44.4%の高視聴率を記録。『キタキツネ物語』と同様の大自然の物語を作らないかという話になり、蔵原惟繕の弟の蔵原惟二から持ち込まれた企画が26話のテレビシリーズ『タロとジロは生きていた』だった。これにフジテレビ側担当の角谷優が乗り気になり、劇場映画でやることを提案、映画『南極物語』の企画が始動した。最初はフジテレビが東映に配給を打診に行ったら、岡田茂東映社長が「犬がウロウロするだけで客が来たら、ワシらが苦労して映画撮る必要ないやろ!!」と、門前払いしたといわれる。フジサンケイグループの総力を挙げた宣伝とメディアミックスが行われた。『笑っていいとも!』にはタロとジロが出演、7月17日にはテレビアニメ『さすがの猿飛』でパロディ「肉丸南極物語」、バラエティ番組『オレたちひょうきん族』の「タケちゃんマン」で7月30日に「タケちゃんマン感激のタロジロ南極物語」が放送。この他にもフジテレビとニッポン放送で連日大々的なキャンペーンが行われた。映画公開自体をイベント化して大ヒットをもたらした大々的な宣伝は、当時の角川映画の方法論を踏襲してそのお株を奪うものであったが、一方で電波の私物化であるとの批判も起こった。全国キャンペーンには、タロとジロを演じた犬と、犬の飼い主役で3シーンのみ出演の荻野目慶子がキャンペーンガールとなって全国をまわった。荻野目はイメージソング「愛のオーロラ」も歌い、フジサンケイグループのキャニオンレコードから発売された。その他のメディアミックスについては、学研の『学習・科学』全誌で大々的に取り上げられ、学研とサンケイ出版から関連書籍が出された他、ポニーキャニオンからは当時の8ビットパソコン向けにゲームが発売された。日本国内では1200万人を動員して61億円の配給収入を挙げた。1980年公開の黒澤明監督の「影武者」の記録を塗り替えて当時の日本映画の歴代映画興行成績(配給収入)1位を記録し、この記録は1997年公開の宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」まで、あるいは実写映画としては2003年公開の「踊る大捜査線2」に抜かれるまで破られなかった。フジサンケイグループを中心に当時としては記録的な240万枚の前売り券が販売。共同製作の学習研究社と協力して全国の家庭も対象に前売券を販売した。映画として美談に仕立てているが、犬たちを酷使したあげく南極に鎖につないだまま置き去りにして殺したということで、公開時には当時の南極観測に関わった人々への激しい批判が起きた。現在でもこの作品を「偽善」と批判する観客は多い。撮影中に犬が怪我をしており動物虐待が指摘されている。日本の劇場公開版の上映時間、ビデオテープ(レーザーディスク・VHD、2001年にDVD)本編の収録時間は、いずれも約143分。初めてのテレビ放送で一度未公開シーンを追加し、2日に分け2時間・計4時間枠で放送された他は、編成上の都合により短縮編集版がテレビ放映されたこともある。後年に、米国(英語吹替・112分)・オーストラリア(前同)・イタリア(イタリア語吹替・モノラル・90分)・フランス(フランス語吹替)の各国で「ANTARCTICA」のタイトルでビデオが発売された。日本版との差異の大半はシーンのカットによる時間短縮であるが、そのほかにシーンの脈絡が日本版と前後する部分(米国版)や、日本版(特別編含む)で全く使用されていない音楽(日本版ラストシーンの続きに当たるメイン・テーマのCD未収録部分約1分50秒間)を使用している部分(イタリア版)などがある。公開1年後の1984年(昭和59年)10月5日・6日に、製作元のフジテレビ系列で、前・後編に分け正味約180分の「南極物語 特別編」(劇場公開版に未収録の場面を加えた現在でいう「ディレクターズ・カット版」)が放送された。なおこの特別編は、以後再放送もビデオ・DVDなどで販売もされていない。2001年(平成13年)11月21日に発売されたDVD(日本版)の特典ディスクには予告編が収録されている。日本版1編(1分20秒)と米国版2編(2分30秒と3分30秒)であり、日本版は初期のもので南極物語の曲は用いられていない。米国版のほうは(米国公開が日本公開の翌年であったこともあり)南極物語の曲が使用されており、2分30秒版ではグレゴリー・ペックがナレーションをしている。実際には、日本版にもきちんと南極物語の曲を使用、「文部省特選」である旨も表示し、後に「第二回予告篇コンクール<邦画部門>金賞」を受賞している完成度の高い後期版(3分20秒)の予告編(画面では「予告篇」と表示)があったが、このDVDには収録されていない。音楽はヴァンゲリスが担当した。当時、ヴァンゲリスは映画『炎のランナー』のサウンドトラックでビルボードのシングル/アルバムチャートで全米No.1を獲得、第54回アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞した直後で、『ブレードランナー』や『ミッシング』など世界中からオファーが殺到しており、依頼の際、マネージャーから報酬として当時の日本映画を数本撮れるほどの金額を提示された。一時は断念しかけたが、本人に参加を確約してもらい、マネージャーと粘り強く交渉してヴァンゲリスの音楽担当が実現した。前述のテレビアニメ『さすがの猿飛』でのパロディ「肉丸南極物語」では、そのためにヴァンゲリスによって新曲も作曲されている。南極地域観測隊の犬ぞり曳きとして南極へ行った樺太犬たち。第1次南極地域観測隊では多くの活躍をする。越冬隊の撤退の過程で、シロ(雌)などを除いて無人の昭和基地に置き去りにされてしまう。副音声の解説者の肩書きはいずれも1983年映画公開当時のもの。
出典:wikipedia
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