トニー・ケイ("Tony Kaye"、本名:Anthony John Selvidge、1946年1月11日 - )は、イギリスのレスター出身のキーボード・プレイヤー。プログレッシヴ・ロックバンド「イエス」で活動した。6歳でクラシック・ピアノを始め、コンサート・ピアニストを目指していたが、18歳でロック・キーボードに転向。幾つかローカル・バンドを経て、1968年12月にイエスに加入。サード・アルバム及びそのツアーに参加した後、1971年7月31日のクリスタル・パレス・ボウルでの公演を最後にイエスを脱退。その後、先にイエスを脱退していたピーター・バンクスのバンドフラッシュ(Flash)へのゲスト参加を経て、自身がリーダーとなるバジャー (Badger)を結成し、イエスのサポート・バンドなども担当するが、セールス的には成功しなかった。その後、ディテクティヴ(Detective)、第二期のバッドフィンガーを経て、1983年、クリス・スクワイアから、新しいバンド「シネマ」への参加を打診される。幾つかのトラブルの後に、「シネマ」から結局グループ名を変えた再結成イエスに正式加入。1994年の「トーク」まで参加した後に脱退する。その後、一時、引退して音楽業界から離れていたが、イエスのメンバーおよびイエス周辺ミュージシャンが結成したバンドCirca (サーカ)、およびそのスピン・オフ的なバンドYOSOに参加した。1994年にクリス・スクワイアの義娘カーメン・スクワイアと婚約したものの結婚はせず、後にシンガー・ソングライターのダニエラ・トルキア(Daniela Torchia)と結婚している。「9012ライブ」DVDに収録されたドキュメンタリーでトニーが語るところによると、最初にイエスを脱退した時の理由は解雇だったという。公式には音楽性の相違とされている。後任のキーボードであるリック・ウェイクマンと比較すると、その演奏スタイルの違いと、イエスが求めていたものは何かが歴然とする。マルチ・キーボードを持ち込み、バンド演奏そのものに色彩感と劇的な展開性を加えたリック・ウェイクマンに対し、トニーはあくまでも一人のキーボード奏者としてプレイすること(特にオルガンの演奏)にこだわっていた。サード・アルバムではシンセサイザーの音も聴けるが、新しいテクノロジーには概して興味がなく、ハモンドC3とレスリーの可能性を追求し、演奏家としてのポリシーを貫いた。この姿勢は復帰時においても同様であり、アルバム「ロンリー・ハート」は実際にはセッションミュージシャンのチャールズ・オリンズ(クリス・スクワイアの当時の妻のバンド、エスクワイアのメンバー)がほとんどのキーボードを弾いている。こうした方向性の違いが、シネマからイエスに移行する間に、1度バンドを離脱した(解雇とも言われている)理由である。当時のイエスのライブでもサポート・キーボードとして、ステージの袖で Casey Young というキーボード奏者が演奏を行なっていたが、バンドおよびマネージメント側はこれを公にはしていない。ニール・ヤングのトリビュートバンド「ニール・ディール(The Neil Deal)」のメンバーとして米国にて活動を行っている。また、2007年より元イエスのビリー・シャーウッド、アラン・ホワイト、ジミー・ホーンと共にサーカを始動させた。現在、イエスおよびイエスの元マネージャーとの間で未払いのロイヤリティーを巡って訴訟を起こしている。また、長年アメリカに居住しているにもかかわらず、現在もアメリカの市民権を取得できていない。
出典:wikipedia
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