鹿児島神社(かごしまじんじゃ)は鹿児島県鹿児島市草牟田二丁目に鎮座する神社。鹿児島県護国神社に隣りする。旧名「宇治(氏)瀬神社」。国史見在社で、鹿児島三社のうちの一社とされる旧県社。豊玉彦命、天津日高彦火々出見尊、豊玉姫命、豊受命の4柱を祭神とする。彦火々出見尊(山幸彦ともいう)と豊玉姫命は夫婦神、豊玉彦命は豊玉姫命の父神。また、「開聞十八社の其一所」で、「祭る所は龍神たるべく、二月の祭より宇都瀬といい、十月より宇津佐とい」ったという。創建年代は不明であるが、『日本三代実録』貞観2年3月20日条に従五位下から従五位上に昇叙された薩摩国「鹿児島神」に充てられ、その当時には既に鎮座していたと見られている。古来上下から尊崇されたが、応永年中(14世紀末から15世紀中頃)に島津元久によって社殿が建立されるなど島津氏による崇敬も篤く、藩政時代には家久以下代々の薩摩藩主から「鹿児島三社」と称され、家督を相続するとまず初めに当神社に参詣する例とされ、安政6年(1859年)には正一位の位記が授けられた。明治5年(1872年)に県社に列した。旧名の「宇治(氏)瀬」は門前を流れる甲突川の流れの早さからきているとも言い、また、鹿児島湾に浮かぶ「神瀬の小島」なる島に鎮座する神社が移転したとも言う。山手にありながら「海の神」として崇められてきたのもこの伝承を裏付けると考えられる。また、『三国名勝図会』によると「甲突川」という名前自体が、当神社の例祭の月を「神月(こうつき)」と称したことに由来し、「神月川」から現在の名称に変わったという説もある。「鹿児島神社」は垂水市にもあり(鹿児島神社)、霧島市の鹿児島神宮も古名を「鹿児島神社」という。3つの鹿児島神社を直線で結ぶと桜島を囲む二等辺三角形になり、これらの神社は元々は桜島(古くは鹿児島と呼ばれたとする説がある)を神体として祀る神社だったとする説もある。かつては2月朔から18日まで祭りが行われ、その間は領主、藩主といえども他国は勿論、他所へ赴くことも禁じられていたという。
出典:wikipedia
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