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バレンタイン歩兵戦車

バレンタイン歩兵戦車(バレンタインほへいせんしゃ、歩兵戦車 Mk.III バレンタイン)は、第二次世界大戦時のイギリスの戦車である。バレンタイン歩兵戦車は、A10巡航戦車を元に開発された。ヴィッカース・アームストロング社が私案として設計し(このため"A"コードは付加されていない)、英陸軍省により1938年2月に承認された。開発チームは、巡航戦車(A10の車台部品が流用された)の重量と歩兵戦車の装甲を組み合わせることを試みたが、これは機構が詰め込まれた小さな車体に、2名搭載の砲塔を搭載するという外観に結びついた。マチルダ戦車よりは装甲が薄く動力も弱く、同程度の速度であったが、低コストで、かつ大量生産に適していた。陸軍省は当初、砲塔と乗務員コンパートメントの小ささから、この設計を制止した。しかしながら、ヨーロッパ戦線の戦況から、最終的に1939年4月に設計が承認された。1940年5月には試験が開始されたが、この時期はダンケルクの撤退によるイギリス軍装備の損失と重なっていた。試験は成功し、この車輌は「歩兵戦車 Mk.III バレンタイン」としてすぐに量産に移された。バレンタインという名前が付けられた経緯については、いくつかの説が存在する。もっともポピュラーなものは、陸軍省に設計が提出されたのがバレンタインデー(2月14日)だったというものだが、いくつかのソースは提出日が2月10日だったと主張している。他の説では、A10戦車やその他のヴィッカース製戦車の開発に尽力したサー・ジョン・バレンタイン・カーデン(Sir John Valentine Carden)から取られたというものがある。この他に、Valentine は Vickers-Armstrong Ltd Elswick & Newcastle-upon-Tyne. の頭文字を取ったものだという説がある。バレンタイン歩兵戦車は1944年4月まで生産され続け、歩兵戦車だけでなく戦車としても、イギリスでもっとも量産されたものとなった。その数は、イギリス国内で6,855輌(ヴィッカース、MCCW (Metropolitan-Cammell Carriage and Wagon), BRC&W (Birmingham Railway Carriage and Wagon) )、カナダ国内で1,420輌である。これらのうちイギリス製の2,394輌とカナダ製の1,388輌(残りの32輌は訓練用に保存)がレンドリースの形でソビエト軍に輸出された。この戦車の最初の戦歴はクルセーダー作戦である。この作戦が、マチルダI歩兵戦車からの置き換えの契機となった。その後も北アフリカ戦線における作戦で広く運用され、初期から防御力と信頼性が評価された。しかし英軍戦車が共通に抱える弱点も持っていた。搭載している2ポンド砲は当時、マチルダII歩兵戦車同様榴弾が用意されていなかったため、敵歩兵や対戦車砲に対する攻撃力、すなわち着弾時における爆発力を欠き、対戦車砲型とともに時代遅れの装備となっていた(大戦後半には榴弾が開発されている)。車体幅の狭さからくる小さいターレット・リングと砲塔が、より威力のある砲への換装を困難にしていたため、6ポンド砲やOQF 75mm砲搭載型が開発されたが、既により高性能の戦車が戦場に到着していた。もう一つの弱点は、小さい乗員コンパートメントと、2人用の砲塔である。装填手が搭乗できるよう砲を前方に移動しスペースをとった3人用砲塔型が開発されたが、砲を大型のものに換装したバージョンでは、再び装填手のスペースが削られた。1944年のヨーロッパ作戦戦域(ETO)では、前線の戦車型のバレンタインは完全にチャーチル歩兵戦車、またはアメリカ製のM4中戦車シャーマンに置き換えられていた。太平洋戦線においては、限られた数のバレンタインが1945年5月まで残された。バレンタインはレンドリース用として、II~V、VII、IX、Xの各型合計3,332輌がソ連軍に対し引き渡された。モスクワ攻防戦の最中である1941年11月25日から参戦、最後は満州侵攻にも参加するなど、終戦まで使われ続けた。他のレンドリース車輌同様、独ソ戦の前期には主に南部地域において用いられたが、これはイラン方面から送り込まれるペルシャ補給線があったためである。特に、カフカス方面ではこれら外国製戦車が戦力の7割以上を占めていたという。雪中でも小型軽量であることから良好に機動し、氷結した路面で履帯にアダプターを付ける必要があると指摘された程度で、問題なく運用できた。東部戦線では履帯の連結強度の弱さと、ボギー式サスペンションの被弾に対する弱さ、主砲に榴弾が用意されていないことが問題として報告されていた。砲に関しては、ソ連製の45mm戦車砲に換装する実験も行われたが、非常時にそこまで手間をかけて改造する余裕も無かったのと、2インチ発煙弾発射器からロシア製50mm迫撃砲弾が発射可能だったため、結局実施されなかった。本車はその小さいサイズと機械的信頼性、装甲の強度によりソ連兵には好まれ、装備されたMk.4ペリスコープも大戦中期以降のソ連軍戦車にコピーされて使われている。

出典:wikipedia

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