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リチャード・マークス

リチャード・マークス(Richard Marx、1963年9月16日 - )は、アメリカのシンガーソングライター。作曲家の父、ディック・マークスとその妻で歌手のルース・マークスの間に生まれる。19歳の頃、マークスのデモ・テープを聴いたライオネル・リッチーに認められて、ロサンゼルスに移住しアルバム『ライオネル・リッチー』(1982年)のレコーディングに参加した。その後、リッチーの紹介でケニー・ロジャースのバックアップ・シンガーとなり、さらにロジャースと共作も始め、2人が共作した「クレイジー」は、1984年にロジャースの歌唱で『ビルボード』カントリー・シングル・チャート1位を獲得した。1987年、アルバム『Richard Marx/リチャード・マークス』でデビュー。デビューシングルとなった「Don't Mean Nothing」がいきなり全米チャートの3位に入るヒットとなり、大きな注目を集める。その後、アルバムからシングルカットされた「Should've Known Better」「Endless Summer Nights」も立て続けにチャートインさせ、4枚目の「Hold On to the Nights」で遂に全米ナンバーワン(2週連続)を獲得した。これで完全にスターダムに乗り、セカンドアルバム『Repeat Offender』からは、「Satisfied(2週連続)」「Right Here Waiting(4週連続)」と前作を上回るビッグヒットを飛ばした。「Right Here Waiting」は、当時交際していた女優シンシア・ローズへのラブレターに曲をつけたもので、自身最大のヒット曲となったことを契機にローズと結婚した(2014年に離婚)。初来日公演は1988年2月で、日本武道館での公演も行った。デビュー以来、立て続けにヒットを飛ばしたマークスは、1991年に満を持してアルバム『Rush Street』を発売。第1弾シングル「Keep Coming Back」はあらゆるフォーマットのシングルレコードが準備されるほどだった。また勝ち馬に乗りたいアーティストがレコーディングや発売記念パーティに集合した。しかしながら、このアルバムは前2作のようなヒットに結びつくことなく、ヒットチャートからすべり落ちた。第2弾シングル「Hazard」の後、「Take This Heart」をシングルカットしたが、時既に遅かった。これ以降、1994年にシングル「Now and Forever」が全米7位になるヒットがあったものの、アルバムのセールスは振るわなかった。1990年代半ばよりプロデューサーとしての仕事に重きを置くようになり、自らの創作活動やコンサートツアーは減っている。近年では、アイドルグループのイン・シンクやバックストリート・ボーイズに曲を提供。2004年には、ルーサー・ヴァンドロスの「Dance With My Father」をヴァンドロスと共作し、グラミー賞最優秀楽曲賞を受賞した。2006年にはリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのメンバーに名を連ねた。2014年のアルバム『Beautiful Goodbye』は全米39位、インディペンデント・アルバム・チャートで6位を記録し、20年ぶりの全米トップ40アルバムとなった。

出典:wikipedia

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