四人囃子(よにんばやし)は、1971年に結成された、日本のロックバンド。何度かの散発的な再結成を経て、21世紀に入り再び活動を活発化させている。1969年、森園勝敏と岡井大二が高等学校在学時に出会い、彼らと中村真一を加えた「ザ・サンニン」として活動を開始。その後、坂下秀実が加入し「四人囃子」としての活動を始める。最初のポニーキャニオンからの再発シリーズのライナーによれば、当時の風聞では「18歳の若さでピンク・フロイドの大曲"Echoes"を完璧に演奏できるバンド」として、名の知れた存在だったという。1973年に邦画のサウンド・トラック『ある青春/二十歳の原点』を発売しプレ・デビュー。1974年に東宝レコードから『一触即発』を発売して本格的にメジャー・デビューを果たす。ファーストアルバムの発売後、キーボードの茂木由多加が参加。その後、ベースの中村が脱退。のちに名プロデューサーとして名を馳せることになる佐久間正英が後任のベーシストとして加入し、5人体制でシングル『空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ』(1975年)を発売する。茂木が脱退した後、後セカンド・アルバムの『ゴールデン・ピクニックス』(1976年)を発売するが、アルバム発売後にフロントマンだった森園が脱退してしまい、バンド存続の危機に見舞われる。1977年に佐藤ミツルが新ヴォーカル&ギターとして加入しバンド活動の続行を決定、サウンドも大きく変化する。『PRINTED JELLY』(1977年)、『包(bao)』(1978年)を発売。坂下に代わり再び茂木をキーボードに迎え『NEO-N』(1979年)を発売するものの、その後バンドは長らく活動休止する。1989年、佐久間、岡井、坂下の3人で『DANCE』を発売する。更にはMZA有明にて森園と佐藤も含めた5人での再結成ライブを行った。その模様は『LIVE FULL-HOUSE MATINEE』として、CD及び映像作品としてリリースされた。その後バンドは再び活動休止。1990年代を通しての活動は、イベントでの散発的な再結成ライブに留まった。この間、佐久間や岡井がプロデューサーとしての活動で成功を収めている。1996年、ファンサイトを発展させる形で、四人囃子のオフィシャル・ウェブサイトを設立。21世紀初頭からは、初期のラインナップ(岡井・森園・佐久間・坂下)での活動が活発化。主に、ライブ公演や音源のリリースを行う。2001年「ワンステップ・フェスティバル 2001」に出演。年末には全曲未発表音源 (未発表曲/未発表ヴァージョン)による5枚組ボックスセット『四人囃子 BOX SET-From The Vaults-』を発売。2002年からはテレビ朝日の主催する「ROCK LEGENDS」ライブ・シリーズに数多く出演。その内、スモーキー・メディスソとのダブルヘッドライナーツアーの模様はテレビでも放送され、音源は『四人囃子 2002 LIVE』としてリリースされた。頭脳警察との競演時には中村もゲスト・ベーシストとして参加している。また、フジ・ロック・フェスティバル'02への出演や、入手困難であったアルバム全10タイトルの再発売などにより新しい世代の音楽フリークへその名が浸透する契機となっている。2003年、茂木由多加が逝去。その後、数年のブランクを挟み、2008年に同ラインナップにて再始動。前述の「ROCK LEGENDS」シリーズ出演の他、四人囃子主催による「色彩探索」と銘打ったサプライズ・ジョイントライブ・シリーズを立ち上げた。その第1弾として、フジファブリックとのダブルヘッドライナー公演を敢行。互いの曲に参加しステージでセッションした。2011年、中村真一が逝去。その後2014年に佐久間正英が逝去。※複数アーティストによるコンピレーションを除くスタジオ・アルバム(純作品)ライブ・アルバムボックス・セットその他のアルバムシングルベストアルバム1975年、Deep Purple日本武道館公演のオープニングアクトを務めた。1978年Rainbow来日の際もオープニング・アクトに起用されたが、これはDeep Purple来日時同行していたことのあるRainbowのスタッフからの「あのバンドはまだやっているのか?」という逆オファーからの実現であった。その他、1970年代にJeff Beck、New York Dolls、Frank Zappaなどと同じステージに立った。2003年には再結成したProcol Harumとの対バンイベントが実現した。「最初に邦画用サウンドトラック1枚を制作することを条件に、四人囃子の1stアルバムはバンドの自由に創らせる」という東宝レコード(・東宝芸音株式会社)との契約により制作されたアルバム。「煙草(夜Part2)」を除いて収録曲がライブなどで演奏されたことがほとんど無い。その為、四人囃子名義の最初のメジャー作ではあるが、"プレ・デビュー”として扱われる。(収録曲のうち「夜」は、アマチュア時代の高見沢俊彦の作詞(クレジットは後にALFEEとなる「コンフィデンス」。同僚・坂崎幸之助も共に制作に関わっていた)。)『ゴールデン・ピクニックス』収録のインストゥルメンタル曲。スタジオ版では“絶対音感の持ち主を不快にさせる”ことをコンセプトに、“途中アレンジ上の転調をすることなく、最初と最後で曲のキーが変わる”という仕掛けが施された。なお、佐久間がリコーダーを演奏している。1973年8月21日、六本木・俳優座でのステージを記録。元々は東宝レコードの編成会議の資料用として録音されたものであったが、メンバーの了解を得ずに1978年に突如発売された。企画にあたり、オフィシャルサイトを通じ全国のファンへ"私的録音”(要は海賊録音)の提供を呼びかけた。そうして集められた音源から数多くのトラックが収録されている。前述の『'73四人囃子』に収録されていた4曲も、「泳ぐなネッシー」を追加し、MCをも含めた形で『From The Vaults 2』に収録されている。スモーキー・メディスンならぬ、スモーキー・メディスソ(佐藤準が都合で参加できず、完全な再結成ではなかったため)と対バン時、スモーキーが1曲目に選んだのは「空と雲」。四人囃子のお株を奪う演奏に客は沸き、四人囃子のメンバーは苦笑をしていた。頭脳警察との対バン時にはラストに両バンドがジョイントして「頭脳囃子」と称し、1973年日比谷野音聖ロック祭の再現となった。フジファブリックとのジョイントではラストに両バンド全員で「カーニバルがやってくるぞ」を演奏、フジファブリックの志村は"9人囃子”を称した。またSOIL&"PIMP"SESSIONSとのセッション時には社長により“10人囃子”が宣言された。日本興行を目的にジャッキー・チェン主演のコメディカンフー映画『ドランクモンキー 酔拳』に挿入された。
出典:wikipedia
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