投入堂(なげいれどう)は、鳥取県三朝町にある三徳山三仏寺の奥院。山の断崖の窪みに建造された平安時代の懸造り(かけづくり)木製堂で、三仏寺の開祖とされる役小角が蔵王権現などを祀った仏堂を法力で山に投げ入れたという言い伝えから「投入堂」と呼ばれる。平安密教建築の数少ない遺構であり、国宝に指定されている。玄武岩層と凝灰岩層の切れ目にある岩陰を利用して、柱で床を支える懸造り(山などの斜面に建てられる半高床式の造り)で建設されている。構造は、懸造平入りで、正面二間、側面一間の母屋に高欄付きの縁を鍵の手状に巡らせている。母屋の屋根は桧皮葺き流れ造りで脇に落ち屋根のひさしが付く。投入堂の西側には、一間四方切り妻屋根の愛染堂が付属している。投入堂内部には7体の蔵王権現立像が安置されていた。岡倉天心、六角紫水らが明治36年に明治政府の依頼で調査した際の記録には「投入堂は丹塗り(朱色)」とあり、平成の保存修理の際に行なわれた塗装調査でも、少なくとも赤と白の顔料で彩られていたことが判明したほか、打越垂木(母屋から向拝柱の上に架け渡した垂木)木口に透かし彫りの飾り金具が取りついていたことがわかった。外部正面東脇間の壁板、正面高欄の平桁などに青色塗装痕も見られたが、これは筆による落書きではないかと見られている。三徳山は修験道の開祖と言われる役小角が慶雲3年(706年)に開山し、嘉祥2年(849年)に円仁が三仏を安置して三仏寺と号したとされるが、史料上では、寿永3年(1184年)に「後白河天皇の御子と称する者が(開山した)」とあり、これが三徳山に関する最初の記載である。投入堂に安置されていた三仏寺本尊である木造寄木造りの蔵王権現(国の重要文化財)は仁安3年(1168年)の作であり、堂の年輪年代学においても1100年前後とされ、投入堂の確実な歴史は12世紀以降と見られる(本堂を中心とする山麓の境内は平安後期と見られている)。大正3~4年(1914-1915年)に解体修理が行なわれ、平成15年~18年(2003-2006年)にも保存修理が行なわれた。平成の修理では、投入堂の屋根部分葺替えを予定していたが、想定より腐朽が少ないことが判明し、葺替え規模が縮小された。これは、投入堂が北側の岩窟にあり、紫外線や雨水等の影響を受けることが少なく、建物が傷みにくかったことによるものとされている。投入堂への一般の入山は禁止されている。三仏寺裏手にある登山道を辿って近くまで行くことは可能だが(投入堂への道参照)、「世界一危険な国宝」と称されるほど危険であり、死亡事故も多発している。三仏寺前を走る県道21号線を三朝温泉方面から三徳山駐車場を過ぎたところに投入堂遥拝所もあり、無料の望遠鏡も設置されている。三徳川を挟んだ三仏寺の対岸の山から見る「投入堂遥拝コース」も設けられている。懸造りの建造物は全国に多数あるが、投入堂は年代の古さやアクロバティックな立地から、京都の清水寺本堂と並ぶ懸造り建築の双璧と評される。磯崎新、安藤忠雄、土門拳ら多くの人から重要な日本建築と評価されており、鳥取県では投入堂を含む一帯を世界遺産に申請するべく運動を続けている。
出典:wikipedia
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