ハビブ・コロ・トゥーレ(Habib Kolo Touré, 1981年3月19日 - )は、コートジボワール・ブアケ出身のサッカー選手。スコティッシュ・プレミアシップ・セルティックFC所属。元コートジボワール代表。ポジションはディフェンダー。母国クラブ、ASECアビジャンでプレーしていた2002年7月、アーセナルの入団試験を受け合格し、そのままアーセナルのトップチームに加入した。8月、コミュニティーシールドのリヴァプールFC戦でトップチームデビューを果たした。チェルシーFC戦ではアーセナルでの初ゴールを記録した。2002-03シーズンは主にボランチやサイドバックで起用されたが、翌2003-04からセンターバックにコンバートされ、レギュラーを獲得。ソル・キャンベルとのコンビでこの年のアーセナル無敗優勝に貢献した。コートジボワール代表でも守備の要として活躍している。2006-07シーズンからは、アーセナルでの背番号が28から5になった。2007-08シーズンより、第2キャプテンとなりキャプテンマークを巻く機会もあった。2009年7月29日、同じプレミアリーグのマンチェスター・シティFCに移籍金1500万ポンド(1800万ユーロ)、4年契約で移籍。シティでの最初のシーズンはキャプテンを任され、9月23日、フットボールリーグカップのフラムFC戦で移籍後初ゴールを記録。11月7日のバーンリーFC戦では移籍後リーグ戦初ゴールを記録し、チームのリーグ戦5位に貢献した。2010-11シーズンはキャプテンマークをカルロス・テベスに譲ったものの、チームの守備の要としてロベルト・マンチーニ監督の信頼を得ていた。2011年3月3日、イングランドサッカー協会はコロ・トゥーレがドーピング検査で陽性反応を示したことを明らかにした。本人曰く「妻のダイエット薬を服用した」とのことだが、イングランド協会は6ヶ月の出場停止処分を科した。その後出場機会は徐々に減少し、2012-13シーズンはリーグ戦15試合の出場にとどまり、2012-13シーズン限りで契約満了になった。リヴァプールは元イングランド代表DFジェイミー・キャラガーが2012-13シーズン限りで引退したこともあり、センターバックの補強を検討していた。2013年5月28日、フリートランスファーでリヴァプールFCへの加入が決定した。契約期間は明らかになっていない。2015年5月26日、リヴァプールとの契約を延長した。契約期間などは発表されていないが、同日付のイギリス紙『デイリー・メール』は、来シーズンいっぱいまでの契約になると報道している。2016年7月24日、セルティックFCへの移籍が発表された。コートジボワール代表として2000年にルワンダ代表戦でデビューを果たした。アフリカネイションズカップ2006ではチームの決勝戦進出に貢献した。その後2006 FIFAワールドカップ、2010 FIFAワールドカップ、2014 FIFAワールドカップとワールドカップには3度出場した。しかし、コロンビア戦後にイブラヒム・トゥーレが死去したことを受け、対ギリシャ戦を欠場することとなった。2015年2月16日、コートジボワール代表引退を表明した。アフリカネイションズカップ2015の開催中、すでに代表引退を示唆していたコロ・トゥーレは「ネーションズカップ優勝が僕のゴール」とコメント。さらに「とても難しい決断だったことは認めるよ。この国とサッカーが大好きなんだ。でも、終わりはいつかやってくる」と現在の心境を明かした。代表最後の大会になったアフリカネイションズカップ2015はコートジボワール代表が優勝を飾り、代表生活に幕を下ろした。2013-14シーズンはベンチ暮らしが続くが、アーセナル、マンチェスター・シティでタイトルを獲得してきた経験は唯一無二。トルコのトラブゾンスポル移籍を拒否してポジション争いに挑むことを宣言。代理人はジョナサン・バーネット。マンチェスター・シティ所属選手のヤヤ・トゥーレ、2014年に死去した元サッカー選手のイブラヒム・トゥーレ () は共に弟。2016年6月8日現在
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