矢宮神社(やのみやじんじゃ)は、和歌山県和歌山市内に鎮座する神社である。賀茂建津之身命(かもたけつのみのみこと)はまたの名を八咫烏命(やたがらすのみこと)とも言われる。神武天皇が東征の途中、紀伊国熊野に到りさらに大和国に向かおうとした際、紀伊山地の険峻な山々に阻まれて進退きわまったとき、八咫烏命は、天照大神、高木大神の神勅を奉じて馳せ参じ、さらに大烏の化身となって飛翔し、神武天皇に進むべき道を示したという。また、大和国に向かう途中では、地域の豪族が皇軍に敵対することもあり、八咫烏命は勅命を奉じて天皇の使いとして、それらの豪族に降伏を勧め諭したといい、神武天皇即位の際には、その勲功を大いに褒賞されたという。矢宮神社は天正5年(1577年)に発生した、織田信長による雑賀攻めの兵火により、社殿や古文書等を焼失してしまったため、それ以前の由緒は不詳であるが、口伝によると第33代推古天皇の治世に、賀茂建津之身命の後裔と伝えられ、現在も神職を務める矢田部氏の上祖が、賀茂建津之身命が神武天皇東征の途中に陣を構え、賊将名草戸畔を討ったという地を選び定めて祭祀を始めたのが、創建の由緒である。以来、雑賀荘の産土神として崇敬を集め、社地も五町参段六畝拾弐歩を有したという。織田信長による雑賀攻めで社殿を喪失したが、江戸時代に入って徳川頼宣が紀州藩主になると、寛永14年(1637年)に再興され、以来明治維新にいたるまで、紀州藩主からの崇敬も篤く、社殿の復興が続いた。江戸末期には、神札の年間頒布数は4万体を数えたといい、例祭においては、流鏑馬、神輿の御渡、奉納競馬なども催されていたらしい。
出典:wikipedia
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