クリストファー・フランク・カランディーニ・リー(Sir Christopher Frank Carandini Lee, CBE、1922年5月27日 - 2015年6月7日)は、イギリス出身の映画俳優。怪奇映画の大スターとして名を馳せ、90歳を超えても生涯現役で活躍した名優である。出演作は250本以上にも上り(インターネット・ムービー・データベースによれば278本)、世界で最も多くの映画に出演した俳優としてギネスブックに記載されている。ドラキュラ伯爵役で有名となり、その後は『白夜の陰獣』のラスプーチン、『007 黄金銃を持つ男』のスカラマンガ、『三銃士』のロシュフォールなど、特に悪役でその魅力が際だっている。193cmの長身は老いてますます威容を誇り、その威厳を『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』などの大作で遺憾なく発揮した。ピーター・カッシング、ヴィンセント・プライスと並ぶ銀幕スターとして、第二次世界大戦後のホラー映画黄金期を築いた。特にカッシングとは多くの作品で共演し、両者の組み合わせはホラー映画の名コンビとして知られている。ロンドン・ウェストミンスターのベルグレイヴィアにて、に所属する陸軍中佐の父ジェフリー・トロロープ・リー(Geoffrey Trollope Lee)とイタリアの名門貴族出身の母エステレ・マリー・リー(旧姓カランディーニ・ディ・サルサーノ)のもとに生まれる。カランディーニ家はシャルルマーニュに遡る家系とされている。幼い時に両親が離婚したため、スイスで過ごすが、その後ロンドンに戻る。語学能力に長け、英語以外に7か国語(フランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、スウェーデン語、ロシア語及びギリシャ語)を自在に話すことができたとされ、実際に英語のほか、ドイツ語、フランス語で映画に出演することも多かった。若い頃は193cm(196cmとも)という長身のためスタントマンや脇役が中心だった。ハマー・フィルムの怪奇映画『フランケンシュタインの逆襲』では、フランケンシュタイン男爵に創造される怪物を演じたが、この時は奇怪なメイクで素顔は見せず、また台詞も無かった。そのグロテスクなメーキャップに当時のマスコミには「リーは事故をして整形手術に失敗したらしい」などと揶揄される始末だった。だが、『フランケンシュタインの逆襲』が大ヒットすると、ハマー・フィルムは続いて『吸血鬼ドラキュラ』を制作する。ここでリーはドラキュラ伯爵役を得、『吸血鬼ドラキュラ』もまた大ヒットしたことから、一躍スターとなった。この時、『フランケンシュタインの逆襲』でフランケンシュタイン男爵を、『吸血鬼ドラキュラ』でヴァン・ヘルシングを演じたのが、ハマー・フィルムのもうひとりの看板名優ピーター・カッシングである。カッシングとは22本の映画で共演したが、『吸血鬼ドラキュラ』を含め、リーがドラキュラを、カッシングがヴァン・ヘルシングを演じた共演作は3本しかない。今も尚、このリーのドラキュラ、カッシングのヴァン・ヘルシングを超える組合せは無いとするホラーファンも多い。また二人は親友でもあり、その友情は変わることがなかった(カッシングは1994年に没した。なお共演こそしていないが、カッシングはリーが出演する以前、『スター・ウォーズ エピソード4』にターキン総督役で出演している)。リーの最大の当たり役はドラキュラであり、ハマー・フィルムでは合計7本の作品にドラキュラ役として出演した。しかし本人はドラキュラでイメージが固定されることを嫌い、ハマー・フィルムの衰退した1970年代以降はアメリカに移住し、ドラキュラのイメージを払拭するべく数多くの映画に出演した(後、1985年にイギリスに帰国)。小説『シャーロック・ホームズシリーズ』を基にした映画にも出演した。リーはマイクロフト・ホームズとシャーロック・ホームズの兄弟双方を演じた史上唯一の俳優でもある。また、ハマー・フィルム制作の『バスカヴィル家の犬』では、ヘンリー・バスカヴィル卿を演じている(この時ホームズを演じたのはピーター・カッシングである)。若い頃から剣術、馬術に優れており、無名の頃にはスタントマンとしてその技量を発揮したが、後年オリヴァー・リード主演の『三銃士』にロシュフォール役で出演した際にも見事なアクションを披露した。なお、スター・ウォーズ・シリーズでは80歳を過ぎていたため、アクションシーンは代役(あるいはコンピュータ・グラフィックスや映像加工によって、頭の部分だけ代役と挿げ替えている)である。俳優としての活動のほか、その深く重々しい美声を生かした朗読、歌唱も多かった。トールキン・アンサンブルとのコラボレーションCDや、エドガー・アラン・ポー作品の朗読が有名。また、コメディ映画『キャプテン・ザ・ヒーロー』では、悪の首魁ミスター・ミッドナイトを演じるに際し、その歌声と妙にノリノリのダンスを披露している。晩年は、イタリアのメタル・バンドラプソディー・オブ・ファイアの要請を受け、アルバム『Symphony Of Enchanted Lands II-The Dark Secret』にナレーションで参加。また『The Magic Of The Wizard's Dream』では歌唱で参加している。さらにアメリカのメタル・バンドマノウォーのアルバム『Battle Hymns MMXI』に曲中の語りに参加。これは同バンドのデビューアルバムのセルフ・カヴァーアルバムであり、クリストファー・リーは、かつてオーソン・ウェルズが行った部分を担当している。ヘヴィメタルシンガーとしても活動しており、2010年に『Charlemagne: By the Sword and the Cross』、2013年に『Charlemagne: The Omens Of Death』と2枚のアルバムを、2012年に『A Heavy Metal Christmas』と『Let Legend Mark Me As the King』というシングルをリリースした。声優としての仕事もこなし、ストップ・モーション映画『コープスブライド』、ゲームソフト『キングダム ハーツII』(英語版)『World of Warcraft』などに出演した。90歳を迎えても出演オファーは途切れることはなく、老いてなお多忙な日々を迎えていたが、2015年に呼吸器疾患と心不全のため入院し、同年6月7日に他界した。「生きる伝説」であるクリストファーの突然の訃報は関係者に大きな衝撃を与え、晩年に仕事をしたピーター・ジャクソンやイアン・マッケラン、盟友ロジャー・ムーアなどが追悼コメントを発表した。1939年にソ連がフィンランドに侵攻し冬戦争が勃発した時、リーは学友らと共に義勇兵としてフィンランドに渡った。彼らはロシア人からフィンランドを救うのだと意気込んでいたものの、実際には戦線を遠く離れた安全な場所の警備を命じられただけで、2週間後に帰国を命じられるまで1度もロシア人を見ないままだったという。その後、リーは市役所職員とホームガードを経てイギリス空軍に入隊した。リー自身はパイロットを志願したが、視力不足で断念せざるを得なかった。地上勤務要員となったリーはローデシア警察隊にしばらく勤務した後、付の情報将校としてエジプト方面へと派遣された。以後、シチリアやイタリアで転戦し、北アフリカで終戦を迎えた。除隊時の階級は大尉であった。伝えられるところでは、彼は1941年より(LRDG)に出向してドイツ空軍の飛行場への攻撃に関与したとも、多言語に堪能であったことから特殊作戦執行部(SOE)による終戦後の戦犯容疑者の捜索にも参加したとも言われている。そうした特殊部隊に参加したことはリー自身も認めていたが、任務の詳細については「話すことを禁じられている」としてほとんど語らなかった。妻はデンマーク人のモデル、画家のギッテ・クロエンケ(Gitte Kroencke)。従兄弟に『007シリーズ』の原作者イアン・フレミング、姪にハリエット・ウォルターがいる。このフレミングとの親戚関係もあって、『007シリーズ』第1作『007 ドクター・ノオ』の映画化に際してフレミング自身がリーに敵方のノオ博士役を望んでいたが実現せず、結果としてジョセフ・ワイズマンがこの役を得た。後に、『007シリーズ』第9作『007 黄金銃を持つ男』(原作はフレミングの遺作)で、宿敵フランシスコ・スカラマンガとしてシリーズへの出演を果たした。『ロード・オブ・ザ・リング』の出演者の中で、唯一原作者のJ・R・R・トールキンと面識があり、指輪物語の世界観のみならず、トールキンの創造したエルフ語への造詣が深い。また『ゴーメンガースト』の原作者マーヴィン・ピークとも面識があった。
出典:wikipedia
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