リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt, 1946年7月15日- )は、アメリカ合衆国アリゾナ州ツーソン出身の歌手、ミュージシャンである。ドイツとメキシコ、イングランドの血を引く両親の間に生まれる。父親もミュージシャンで、10代からギルバート&サリバン(アーサー・サリヴァンとウィリアム・S・ギルバート)などを聴き始め、その他にもビリー・ホリデイやサラ・ヴォーンなどの女性ジャズシンガーなどに影響を受けながら、カリフォルニアへ移り、音楽へ傾倒し始める。リンダはアリゾナ大学を1年で退学した後1967年、女性1人、男性2人のスリーピース・バンド「ストーン・ポニーズ」のボーカルとしてデビューした。このグループのリーダー、ボブ・キンメルは、当初リンダをフィーチャーした5人編成を予定していたが、グレイス・スリックをフィーチャーしたジェファーソン・エアプレインが「あなただけを()」のヒットを放って脚光を浴び、さらに女性ヴォーカルをフィーチャーしたがデビュー、といったように他のグループに先行され、当初の5人編成のプラン変更を余儀なくされた。このバンドは当時、一世を風靡していたママス&パパスやラヴィン・スプーンフルの流れを汲む、カントリー&ウェスタンの要素が取り入れられたフォーク・ロックのグループであった。1967年、セカンド・アルバム『Evergreen Vol. 2』からのリカット・シングル「悲しきロック・ビート」(デイファラント・ドラム)が、1968年になってベスト・テン入りを果たすビッグヒットとなって一躍注目を浴びた。しかし、その後はヒットは出せず、バンドは解散した。バンド時代から「レコーディングはリンダ1人で」と誘われることが多く1969年、すんなりソロ・デビュー。自ら作詞・作曲はせず、新曲でもない、ほぼ全曲、過去に世に出たカバー・ソングを歌う。カーラ・ボノフやJ.D.サウザーなど、当時あまり売れていなかったミュージシャンの曲を取り上げ世に出したことでも知られる。ソロ・シンガーとして注目されはじめるのは1970年のシングル「ロング・ロング・タイム(Long Long Time)」のヒットからで、この頃から1970年代のウエストコースト・サウンド・ムーブメントの中心で活躍する女性シンガーとして次第にその名を知られるようになる。バック・バンドのメンバーとして集められたドン・ヘンリーとグレン・フライ、バーニー・レドン、ランディ・マイズナーは、ロンシュタットのサポート後イーグルスとして独立した。バンド時代とソロ2枚目あたりまではカントリーフォーク中心の曲構成だったが、徐々にロック色を強め、1971年にバックバンドを務めたイーグルスのナンバーやオールディーズナンバーをロック的なボーカルスタイルに変えて、佳作を発表した。イーグルスの名バラード「ならず者 (Desperado)」もカバーしている。また、ニール・ヤングの「孤独の旅路」(1972年)のバック・コーラスもつとめた。その存在が広く知られるようになったのは、1974年のアルバム『悪いあなた()』からシングルカットされた「悪いあなた()」が全米1位を記録してからである。なおこの曲はソウルシンガーのベティ・エベレットの曲のカバーである。続いてシングルカットされた「いつになったら愛されるのかしら」も全米2位を記録。1977年には『夢はひとつだけ(Simple Dreams)』、1978年には『Living In The U.S.A.』などの全米No.1アルバムヒットを記録した。この頃のシングル・ヒットとしてはロイ・オービソンの「ブルー・バイユー」、バディ・ホリーの「It's So Easy」などが有名。また、このころ、カリフォルニア州知事のジェリー・ブラウン(民主党)との交流もあった。その後も「ハート・ソー・バッド」などのカバーヒットを多く発表している。1986年には、長編アニメ映画「アメリカ物語」の主題歌「Somewhere Out There」をジェームス・イングラムとのデュエットで大ヒットさせた他、1987年にはエミルー・ハリス、ドリー・パートンとの夢の競演アルバム『Trio』を発表、その後も1989年にはネヴィル・ブラザーズのメンバーの一人、アーロン・ネヴィルとのデュエットで「Don't Know Much」をヒットさせるなど、数々のデュエットナンバーを多く歌う切っ掛けとなった。自身のソロ活動だけでなく、イーグルスやニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーなどのアーティストとも深い交流を持つ。付き合う男の服装の好みで格好を替えるため、ミック・ジャガーと噂があった際はホットパンツでステージに登場し、スタイルの良さを披露した。また、ミック・ジャガーが「君にはロックが足りない」と言うと、「あなたにはバラードが足りない」と言い返したという。イーグルスの代表曲の一つ「Witchy Woman」やローリング・ストーンズの「ダイスをころがせ(Tumbling Dice)」は、彼女のことを歌ったものであり、自身もカヴァーしたことがある。1990年代に入るとジャズシンガーに転向、またメキシコ音楽にも挑戦するなど、国民的大歌手として活躍した。甲状腺の病気を長年患っており、2011年に故郷アリゾナの地元紙のインタビューで引退したことを明らかにした。2013年8月、パーキンソン病を患っており、そのため歌手活動をやめたことが明らかになった。2013年9月、自伝『"Simple Dreams" 』を"Simon & Schuster"より出版した。但し、すでに執筆を終え印刷・製本作業に入っていたため、パーキンソン病については触れられていない。1967年1968年1970年1971年1972年1973年1974年1975年1976年1977年1978年1979年1980年1982年1983年1984年1985年1986年1987年1989年1990年1992年1993年1994年1995年1999年
出典:wikipedia
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