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アダム・リグス

アダム・デイヴィッド・リグス(Adam David Riggs, 1972年10月4日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。1994年にドラフトでロサンゼルス・ドジャースから22巡目、全体608位指名を受け入団。当初の期待は低かったが、入団3年目の1997年にメジャー昇格。結局9試合に出場したものの、翌年からは再度長期に渡ってマイナーでのプレーを余儀なくされる2001年にマイナー在籍6年で取得できるFA権を行使し、ドジャース傘下からサンディエゴ・パドレス傘下に移籍。この年は久々にメジャー昇格を果たし12試合に出場した。しかしシーズンオフ後に自由契約となる。2002年にはセントルイス・カージナルス傘下へ移籍する。この年はメジャー昇格できず、シーズン終了後トレードに出されアナハイム・エンゼルス傘下へ入団。2003年9月に、メジャー登録枠が拡大されたと同時にメジャーに昇格し、地区優勝の美酒も味わった。2004年はメジャーのキャンプにマイナーからの招待選手として参加。開幕メンバー入りは出来なかったが、31歳にしてマイナーで自己最高ともいえる打撃成績を残し、昨年と同じく9月にメジャー昇格してプレーオフにも出場(結果は1打数無安打)。この年も地区優勝の輪に入ることが出来た。同年の秋にヤクルトからオファーが届き、秋季キャンプを経て入団。2005年開幕当初は変化球攻めに遭い、シーズンは2軍スタートとなったが、4月半ばに一軍合流。しばらくは右翼、交流戦の指名打者・代打での出場が続いたが、7月半ばに鈴木健の離脱で一塁手として出場機会を得ると、持ち味のシュアな打撃を武器に活躍を見せ始めた。7月31日の対阪神タイガース戦では、藤川球児から決勝本塁打を放ち、この年の藤川に唯一の黒星を付けている。8月5日 - 6日の対読売ジャイアンツ戦では、8打席連続安打の固め打ちも見せた。結局規定打席不足ながらも打率3割、14本塁打と結果を残して残留が決まった。2006年は主に「バントをしない2番打者」として起用され、打率.294、チーム最多の39本塁打の他、94打点11盗塁と期待に応える活躍を見せた。ただし39本中24本塁打がそれぞれ月間MVPを受賞した5月と8月に集中しているなど、好不調の波が激しいという課題も残った。オフに2008年までの2年契約を結び、ヤクルトに残留している。2007年はそれまで主軸を打っていた岩村明憲の移籍もあって中軸として期待されたが、鼠径ヘルニアで4月は打率1割台の大不振に陥った。4月末には手術のためアメリカに帰国。夏場に復帰したが、今度は腰痛を発症したこともあって、再度降格。期待されたほどの成績を残せず、最終的に1軍で打率.217、2軍でも打率.231と対応に苦慮するシーズンとなった。2年契約が残っていたため、来季も残留することとなった。2008年は開幕4番でスタートするも、打率.202と打撃不振に陥り、5月23日に2軍降格。直後に右太ももの痛みを訴える。そのリグスの姿勢に高田繁は「(二軍に)落ちてすぐ痛いとか言っているし、やる気が感じられない」と激怒、即刻戦力構想外となり、7月11日にウェーバー公示、7月17日に自由契約公示され、シーズン途中で退団した。2009年に阪神タイガースが不振のケビン・メンチの代役として獲得候補に挙げたが、1年のブランクや年齢面での衰えがネックとなり、日本球界復帰は実現しなかった。なお、この年は薬物疑惑(下述)の影響でどこの球団にも所属していない。俊足選手としても有名で、ガッツあふれるプレーが持ち味。外国人選手としては珍しくヘッドスライディングをするなど、チームのムードメーカー的存在でもある。バッターとしては巧打タイプだが、先制、勝ち越し、同点、逆転など貢献度の高いホームランが非常に多い。打撃フォームにクセがなく、きわどい釣り球でも簡単に打ち損じることはなく、相手の失投を見逃すことも少ない。クリーンヒットを放ったりすることが多い。長打狙いの引っ張りから右への流し打ちまで、試合の流れを読んだバッティングができるのも強み。アメリカでは二塁手が本業で、一塁・外野も守れるユーティリティープレイヤーだが、肩が弱く、外野ではエラーも多かったことからヤクルト移籍後はほぼ一塁手に専念している。一塁では抜けそうな打球を横っ飛びでキャッチするなど俊敏なフィールディングを見せ、送球処理も無難にこなす。また学生時代はアメリカンフットボールの選手だったこともあって走力はチーム随一を誇り、2005年の広島戦では捕手石原慶幸の1塁送球間にホームへ突入し見事に生還したこともある(記録は盗塁にはならず)。2006年はホームランを打った試合におけるチームの勝率は実に7割を超え、実質的にチームの主砲と言って良い働きをしていた。外国人投手が投げている試合では率先して声を掛けて励ます姿も見られる。バッティングばかりが注目されがちだが、スピーディな守備や相手の隙を見逃さない好走塁でもチームを盛り立てている。三振してアウトになりベンチへ帰っていくとき、首を横に振る姿がよくテレビに映る。逆に、ホームランを打った後はベンチ横のカメラに向かって猫ひろしの「にゃ~」のモノマネをする(猫ひろし本人からTシャツを貰った事もある。時折、猫が師匠と言われることも)。そして、古田敦也監督と抱き合う。リストバンドの使用色は2005年は赤色か白色だけであったが、2006年からはそれに加えて(スワローズのチームでは珍しい)水色も着用している。エンゼルス時代に、何故かユニフォーム胸部のチーム名が「ANGEES」と誤記されたユニフォームを着用して試合に出たことがある。2007年12月13日に公表された米国MLBの薬物使用実態調査「ミッチェル・リポート」において薬物使用の疑いがある事が判明。報告書によると、業者はリグスと直接の面識なく2003~2005年の間に取引を行っており、ヒト成長ホルモンや注入式ステロイドなどを購入したとされる。報告書にはリグスの署名入り為替が掲載されている。その日付は、ヤクルト移籍後の2005年11月30日だった。また、エンゼルスの同僚であったバート・ミアディッチ(2005年巨人でプレー)とブレンダン・ドネリーを薬物業者に紹介したとされている。リグスはMLBの面会要求を辞退し、弁護士を通じて「一度も陽性反応は示したことはない」とのコメントを文書で提出している。12月15日、リグスはヤクルトに返答し、「ステロイド剤を含むいかなる薬物を使用したことも購入したこともない」として疑惑を完全否定した。また、プロ入りの1994年から昨年の日本まで毎年ドーピング(禁止薬物使用)検査を受けており、一度として違反物質の反応が示されたことはなく、年に2度受けた際も結果はすべて陰性だったと説明した。リグスは「詳細や経緯についてすべて説明できるが、発言は弁護士から制約されている」とし、弁護士と今後の対応を協議している。

出典:wikipedia

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