アボルハサン・バニーサドル(Abolhassan Banisadr、1933年3月22日 - )は、イランの初代大統領。在任当時、日本のマスコミでは「バニサドル」と表記・呼称された。1960年代前半、バニーサドルは反体制運動に参加し二度投獄を受ける。1963年の暴動の際、負傷し。その後、ムジャヒディン・ハルクのメンバーとフランスへ飛び、ホメイニーの抵抗組織に加わる。1979年2月にホメイニーと共に帰国。経済学者だった彼は暫定蔵相・暫定外相に就任。その後正式に蔵相に就任する。翌1980年の総選挙で、リベラリストや女性の支持を多く集め、イスラーム共和制初代大統領に選出される。しかし、国会(イスラーム協議議会)では保守的な聖職者が多数を占め、大統領側と対立するラジャーイーを首相に選出。ウラマーではなかったバニーサドルを追い詰め始める。さらに暫定外相時代にイランアメリカ大使館人質事件でアメリカ政府との仲介役を行ったことが保守派の反発を買い、「我が息子」と呼ぶほど親密だったホメイニーすらもバニーサドルを糾弾するようになってしまう。バニーサドル自身はホメイニーに独裁者にならないように手紙を送り警告などするが、結局1981年6月21日に議会により弾劾決議が可決され翌6月22日にそれを受諾。ラジャーイーが大統領に就任する。バニーサドルは国外に脱出しフランスに在住。現在も多くの記事を執筆している。
出典:wikipedia
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