M・カルナーニディ(மு. கருணாநிதி : M. Karunanidhi)は、タミル人の政治家、文学者。タミル・ナードゥ州のドラーヴィダ進歩党の創立者たちの一人であり、2006年現在同党の党首である。同州の州首相を現在務めており、非連続ながら5期目である。M・カルナーニディの「M」は「ムットゥヴェール」の公式表記で、父名。したがって非公式にはカルナーニディ・ムットゥヴェール(கருணாநிதி முத்துவேல் : Karunanidhi Muthuvel)となる。多くの著作や劇作などがあることから、カライニャル(கலைஞர் ; Kalaignar)「学芸の智者」とも呼ばれる。インドのタミル・ナードゥ州ティルヴァールール県ティルックヴァライにて、1924年6月3日に生まれた。初めは、タミル映画の脚本家として活動した。歴史劇や神話劇を多く作り、ドラヴィダ人の復権を訴える内容を持たせていた。演説のうまさと機知により、政治家として頭角を現す。1949年のドラーヴィダ進歩党の創立に中心的な役割を果たした一人である。1957年にクリッタライ選挙区から初出馬し、以来出馬した10回の選挙戦ではすべて当選を果たしている。インド政府によるヒンディー語の公用語化案に対しタミル語の起源の古さなどを論じ、政府の施策は押し付けであるとして強硬に反対した。1961年ドラーヴィダ進歩党の経理部長。1962年から野党代表を務め、1967年に党が政権を得ると、州の公共事業担当相となる。1969年にドラーヴィダ進歩党の党首となり、以後継続してその座にある。同年に州首相となる。1977年にドラーヴィダ進歩党が野党に転落すると、1983年まで再び野党代表の立場となる。しかし1983年にスリランカのタミル人独立運動との関わりで辞任、選挙には出馬しなかった。1989年に党が与党となると、再び州首相に就任したが、1991年に辞職。1996年から2001年には再び州首相を務めるが、2001年の選挙で党が野党となったため州首相を辞職した。2001年6月30日には、陸橋工事をめぐる詐欺容疑で逮捕されたが、これに反発する支持者たちによる大規模な暴動に繋がった。本人は健康上の理由で釈放された。この他、反ヒンディー語運動の扇動、鉄道駅名の恣意的な変更、物価高騰の責任、スリランカのタミル人独立運動への関与などの罪状で、多くの投獄経験を持つ。2006年5月の統一地方選挙でドラーヴィダ進歩党が勝利したことから、同党党首であるカルナーニディは再び州首相に就任した。ヨシフ・スターリンの崇拝者であり、長男にM・K・スターリンがいる。スターリンを世襲の権力継承者とする反対が強まっている。また、妻が二人いることも、インドの法律に反していることもあり、批判されている。インドの法律では一夫多妻制が禁止されているが、妻は二人いる。子は四男二女がいる。カルナーニディの兄弟の孫息子であるダヤーニディ・マーランも政治家として活動しており、2006年現在はインド政府の通信・情報技術相である。映画イルヴァルが、カルナーニディとM・G・ラーマチャンディランとの政争を描いた映画として知られている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。