京都サンガF.C.(きょうとサンガエフシー、)は、日本の京都府京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。1922年に創設された京都紫光サッカークラブが前身となり、1993年に一般公募で京都パープルサンガ(きょうとパープルサンガ)のクラブ名でプロ化して1996年にJリーグへ加盟。2007年に現在のクラブ名となる京都サンガF.C.へ改称した。運営会社は株式会社京都パープルサンガである。旧クラブの由来は、京都紫光クラブの『パープル』と、サンスクリット語で「仲間・群れ」を表す『samgha』と、山紫水明の京都をイメージさせる「山河」の響きを掛け合わせた『サンガ』を合わせたもの。ホームタウンは2010年8月まで京都府京都市1市。2010年8月より宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市の5市、2012年4月より木津川市、2014年4月より亀岡市がホームタウンに追加された。なお、宇治市などへ広域化された際に、クラブ側は「よりホームタウンを活性化させるには試合の本拠地である京都市やクラブハウスのある城陽市を含め京都府南部の市町村の連携が不可欠」とコメントしている。ホームスタジアムは京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場、練習場は京都サンガF.C.東城陽グラウンド(通称:サンガタウン城陽)である(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。クラブマスコットは1995年に誕生した「パーサくん」と2003年に誕生した女の子のお友達「コトノちゃん」であり、いずれも「鳳凰」と「不死鳥」をモチーフとしている。1922年創設の京都紫光クラブ(設立時の名称は紫郊クラブ)が前身となり、Jリーグ加盟クラブの前身チームの中で最も古い。1993年に「教育研究社FC京都パープルサンガ」が発足。1994年1月、運営会社となる「株式会社京セラパープルサンガ」が設立された(6月に株式会社京都パープルサンガへ商号変更)。1994年8月、Jリーグ準会員に承認。1995年にジャパンフットボールリーグ(JFL)で2位の成績を収めて、1996年からJリーグ加盟が決定した。大野俊三や佐藤慶明といったJリーグ経験者を補強。開幕戦はV川崎に敗北。その後、シーズン開幕後17連敗を喫して、ジョゼ・オスカー・ベルナルディがシーズン途中で監督を解任された。5月にV川崎からラモス瑠偉、藤吉信次、山口貴之を獲得し、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。ペドロ・ローシャを監督に迎えたが、カポネとクレーベルの両外国人選手が振るわず、更にラモスが退団した。年間成績は17チーム中14位。なお、この年に西田吉洋が日本代表候補に選ばれた。元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。元日本代表の森保一・岩本輝雄・山田隆裕・黒崎久志を獲得したが、下位に低迷。オフトは6月に監督を退任し、清水秀彦が後任となり、2ndステージは勝ち越し。なお、横浜フリューゲルスが横浜Mと合併したことでJ1参入決定戦への出場は回避した。清水体制2年目。1stステージが14位。6月に清水が退任して、7月に元日本代表監督の加茂周が監督に就任。また、同じ7月に元日本代表の三浦知良を獲得。2ndステージは9位。年間成績は12位となった。加茂体制2年目。黒部光昭、松井大輔、朴智星が入団。リーグ戦は当初より不振で6月に加茂を解任。ゲルト・エンゲルスが後任の監督に就任したが、年間成績は15位に終わり、J2へ降格した。エンゲルス体制2年目。三浦知良が神戸、遠藤保仁がG大阪へ移籍した。J2リーグ戦は28勝5分11敗の成績で優勝し、J1復帰を決めた。黒部は30得点を挙げ、J2得点ランク2位となった。エンゲルス体制3年目。開幕直後こそ4連敗するものの、黒部、松井、朴に加えて平井直人・角田誠といった下部組織出身の選手も活躍。年間順位で5位に躍進。第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会は決勝で鹿島を破り、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得した。朴がPSVアイントホーフェンへ移籍した一方、韓国・水原三星より高宗秀を獲得した。1stステージは最下位。6月にエンゲルスを解任、後任のピム・ファーベークも11月に解任し、木村文治が監督に就任。2ndステージも14位に終り、年間で最下位となり、2度目のJ2降格が決定した。西村昭宏が監督に就任。市原から崔龍洙を獲得。一方、9月に松井がフランス・ル・マンUCへ期限付き移籍した(2005年7月に完全移籍へ移行)。リーグ戦は序盤戦から勝利に恵まれず、6月に西村を解任し、柱谷幸一を監督に迎えたが5位に終わった。柱谷体制2年目。黒部がC大阪へ移籍した一方、山形から星大輔、福岡から米田兼一郎、湘南から加藤大志を完全移籍で獲得した。シーズンは7試合を残して2位以内が確定、第39節で2度目のJ2優勝を決めた。最終節は甲府に敗れて、2004年の川崎に次ぐシーズン勝点100以上はならなかった。なお、パウリーニョが22得点でJ2得点王を獲得し、15得点のアレモンと2人でチーム総得点(89)の4割強を占めた。柱谷体制3年目。4月にG大阪から手島和希、5月に名古屋から角田誠を期限付き移籍で獲得したが、シーズン当初より低迷し10月に柱谷を監督から解任。ヘッドコーチの美濃部直彦が監督に就任したが、11月26日のG大阪戦に敗れ、最下位が決まり、J2降格が決定した。美濃部体制2年目。2月からクラブ名称を京都サンガF.C.に変更(ただし運営法人の商号は現在も株式会社京都パープルサンガのまま)。同時に新しいエンブレムも制定された。名古屋から元日本代表DF秋田豊、清水から森岡隆三、甲府から倉貫一毅を、福岡から平島崇を獲得した。開幕から大きな連勝はしないものの1度の連敗もなく安定して勝ち点を積み重ね、第44節終了時点で暫定3位と昇格圏内につけていた。10月13日に美濃部を解任して、総監督の加藤久が監督へ就任。リーグ戦は3位となり、J1・J2入れ替え戦で広島に勝利を収めてJ1復帰を決めた。また、当初は残り試合に限定された暫定監督扱いとして就任した加藤の総監督留任も決定した。加藤体制2年目。柏からGK水谷雄一、G大阪から9シーズンぶりの京都復帰となるDFシジクレイ、FC東京からレンタル移籍でDF増嶋竜也、千葉からMF佐藤勇人、鹿島からFW柳沢敦と、各ポジションで実力者を獲得し、2年ぶりのJ1に臨んだ。シーズン途中にも、ディフェンス安定のためにG大阪からDF水本裕貴、怪我で長期離脱(登録抹消)したFWパウリーニョの穴を埋めるため、清水からFWフェルナンジーニョを獲得した。なお、シーズン成績は14位。天皇杯は5回戦で柏に敗北。加藤体制3年目。名古屋から豊田陽平、東京Vからディエゴ、韓国代表の李正秀などを獲得。また、前年怪我でシーズン途中に登録抹消されたパウリーニョも復帰した。しかし、主力に怪我人が相次ぎ、パウリーニョがシーズン途中で退団しブラジルに帰国するなどメンバー編成に苦しんだが、第33節(11月28日)の浦和戦に勝利し、残り1試合を残してJ1残留を決め、同時にJ1通算100勝を達成し、12位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で甲府に敗北した。加藤体制4年目。李正秀(鹿島→アル・サッド)、林丈統、佐藤勇人(千葉)、松井謙弥(C大阪)が完全移籍、豊田陽平(鳥栖)がレンタル移籍、手島和希が引退、シジクレイが退団。一方で大分から7年ぶりの復帰となる鈴木慎吾や、大宮から片岡洋介が移籍。ドゥトラ、郭泰輝、チエゴ(レンタル移籍)、ハウバート・ダン、児玉剛、福村貴幸らを獲得した。リーグ戦は第4節終了時の8位が最高。第10節および第13節から第21節まで最下位で推移し、第14節終了後の7月27日に加藤を監督及びチーム統括職より解任し、コーチの秋田豊が後任の監督に就任した。第22節で17位に順位を上げたが以降も17位から順位は変わらず、第30節の浦和戦に敗れて4回目のJ2降格が決定した。天皇杯も3回戦で千葉に大敗した。なお、秋田とは2011年までの契約で「J2に降格しても続投してもらう」方針 であったが、12月7日に監督を退任した。監督に甲府元監督の大木武、ゼネラルマネージャー(GM)に千葉元GMの祖母井秀隆がそれぞれ就任した。柳沢敦、角田誠が仙台、渡邉大剛、片岡洋介が大宮、増嶋竜也が柏、水本裕貴が広島、郭泰輝がKリーグ・蔚山現代FC、西野泰正がカマタマーレ讃岐へ移籍、平井直人が引退、中谷勇介が退団(のちに東京Vへ入団)、チエゴはレンタル移籍期間満了により退団した。また、8月にディエゴが仙台へレンタル移籍した。一方で、工藤浩平(千葉)、秋本倫孝(甲府)、アライール(愛媛)を完全移籍で獲得、酒井隆介、チョン・ウヨン、内藤洋平が加入、駒井善成、伊藤優汰らがユースから昇格した。リーグ戦は、6月5日(第15節)まで2引き分けを挟んで5連敗を喫するなど、同節時点で僅か1勝(2分6敗)の19位に落ち込んだ。後半戦に入り、2種登録選手ながら10得点を挙げて、チーム得点王になった高校生FW久保裕也などの活躍もあり、最終順位は7位。天皇杯は、第82回以来の決勝進出。決勝で同じJ2所属のFC東京に敗れたが、準優勝の成績を収めた。大木体制2年目。森下俊が川崎へ完全移籍、中村太亮が新潟へ期限付き移籍した一方、中国・陝西宝栄からバヤリッツァ、徳島から倉貫一毅を完全移籍で、浦和から原一樹らを期限付き移籍で獲得した。開幕前は天皇杯準優勝などの実績より昇格候補に挙げられ、第8節の東京V戦まで4連勝、第16節の北九州戦まで5連勝で同節で首位に立ったが、第17節から3連敗を含む7戦連続勝ちがなく、第23節時点で8位へ順位を下げた。第27節の鳥取戦まで4連勝して6位に浮上(その後連勝を6に伸ばす)して以降、J1昇格プレーオフ圏内となる6位以上を保ち、第39節ホーム岐阜戦の勝利で自動昇格圏内の2位に浮上。第41節時点で2位をキープしたが、最終節の甲府戦でスコアレスドローに終わり、最終節勝利した湘南と入れ替わって3位となり、J1昇格プレーオフへ回った。J1昇格プレーオフは準決勝で6位の大分にホームで敗北し、J1昇格はならなかった。天皇杯は3回戦で磐田にPK負けした。大木体制3年目。中村充孝が鹿島、水谷雄一が福岡へ完全移籍、チョン・ウヨンが磐田へ期限付き移籍した一方、川崎から山瀬功治、湘南から三平和司(2012年は大分に期限付き移籍)、徳島からオ・スンフン、愛媛から田森大己、Honda FCから中村祐哉を完全移籍で、G大阪から横谷繁を期限付き移籍で獲得した。7月に久保裕也がBSCヤングボーイズへ完全移籍した。開幕から4試合を2勝2分とし第4節時点で2位。第5節から2連敗を含め第9節まで1勝3敗1分に留まり第9節時点で11位に順位が低下するが、その後は第28節から第30節の3連敗を除いて連敗することなく推移し、第16節で4位に浮上して以降は昇格プレーオフ圏内をキープ。第32節からは7連勝し、第34節終了時点で3位に浮上したが、第40節・G大阪戦に敗れて自動昇格圏内の2位以内が消滅。なお、最終順位は2年連続の3位。J1昇格プレーオフ準決勝はホームで長崎に引き分け。規定により決勝へ進出したが、徳島に敗れて2年連続でプレーオフ敗退。天皇杯は3回戦で鹿島に敗北。シーズン終了後に大木が監督を退任した。イラン代表元監督のヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラが監督に就任。安藤淳と染谷悠太がC大阪、倉貫一毅が鳥取、秋本倫孝が富山、原一樹が北九州、中村祐哉が長崎、児玉剛が愛媛へ完全移籍した一方、名古屋から石櫃洋祐、ブラジル・アメリカFCからアレッサンドロらを完全移籍で、神戸から有田光希、横浜FMから比嘉祐介、杭州緑城から大黒将志を期限付き移籍で獲得した。開幕節終了直後に首位に立ったが、その後第18節時点で7勝5敗6分の11位に留まり、6月18日にバドゥを監督から解任。後任決定までコーチの森下仁志が監督代行を務めた後、6月29日より元東京V監督の川勝良一が監督に就任し、徳島からドウグラスを期限付き移籍で獲得したが第41節・富山戦での引き分けにより昇格プレーオフ進出が消滅し、最終順位も9位に終わった。シーズン終了後に監督の川勝、GMの祖母井秀隆、強化部統括の細川浩三、強化部テクニカルディレクターの高間武らが退任した。元神戸監督の和田昌裕が監督に就任。オ・スンフン、ジャイロが退団。ドウグラス、比嘉祐介、田中英雄が期限付き移籍期間満了につき退団。高橋祐治が讃岐、田村亮介が鳥栖へ期限付き移籍。酒井隆介が松本、工藤浩平が広島 、横谷繁が大宮、三平和司が大分、内野貴志が長野へそれぞれ完全移籍した。一方で、宮吉拓実が富山から、原川力が愛媛から復帰。清水圭介(大分)、山口智(千葉)、菅沼駿哉(磐田)、金南一(全北現代)、黄辰成(AFCテュビズ)、佐々木勇人(仙台)、ダニエル・ロビーニョ(群馬)を完全移籍で獲得。奥川雅也らがユースから昇格した。前半戦を終えて6勝12敗4引き分け。7月8日の徳島ヴォルティス戦で敗北し、7月10日に成績不振を理由として和田が監督を解任され、ヘッドコーチの石丸清隆が後任の監督に就任した。10月25日の大宮アルディージャ戦の引き分けで7位以下が確定。最終順位は17位。石丸体制2年目。前年の主力でユース上がりの駒井善成が浦和へ、伊藤優汰が新潟へ、原川力が川崎へ、宮吉拓実が広島へそれぞれ移籍。名古屋から牟田雄祐と本多勇喜、柏から菅野孝憲、松本から岩沼俊介、甲府から堀米勇輝、長崎からイ・ヨンジェ、C大阪から染谷悠太などを獲得。ホームスタジアムは、京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 である。西京極はJリーグが定めるクラブライセンスでスタンドの屋根の占有率や、トイレ数などが充足していないが、今後、西京極のライセンス充足化工事の実施、及び京都スタジアム(亀岡市、2016年着工予定)の建設計画が具体化されていることを理由に、同クラブに対するライセンス交付上の制裁は2015・16年度については行われていない。また、毎年霧島市国分運動公園でシーズン開幕前のキャンプを行っている。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「当項目」を参照のこと。1998年より京都サンガF.C.東城陽グラウンド(通称:サンガタウン城陽)を使用している。なお、クラブ創設当初は京都府立山城総合運動公園(京都府宇治市)などの京都府及び滋賀県内のグラウンド、1995年から1997年まで「京セラ八日市総合グラウンド」(滋賀県東近江市)を使用していた。育成組織(アカデミー)として、U-18、U-15、U-12SPコースを有する他、サッカースクールとして幼稚園・保育園在園児を対象とした「KIDSコース」、中学生、大人、女子、GKの4コースから構成される「クリニックコース」、小学2年生から6年生を対象とするプレミアコース・プレミアクラスも設置されている。また、U-18年代を対象とした「スカラーアスリートプロジェクト」も併せて運営している。2005年時点で育成組織専用の練習場などが無かったため、当時サンガの監督であった柱谷幸一がサンフレッチェ広島のユースチームと地元高校の連携を例に挙げて育成組織の改善をクラブ幹部に提案した。2006年度から、産の京セラ、学の立命館、民のサンガが提携し、高校年代の生徒が勉学は立命館宇治高校、練習は京都サンガF.C.東城陽グラウンドにある育成組織専用の照明を完備した人工芝グラウンドで、生活はサンガが建設した寮で行い、学費は立命館が、寮費・食費はサンガが全面的に負担する、「SCHOLAR-ATHLETE PROJECT(スカラーアスリートプロジェクト、以下SAP)」が開始された。2011年度にSAP開始以降初めて、SAP対象者がトップチームへ昇格した。2014年1月22日、SP京都FC(当時は佐川印刷京都)と選手育成、強化などを目的とする業務提携を締結した。業務提携の契約期間は2014年2月から2016年1月までであった。2014年は森岡隆三(サンガ元コーチ)がSP京都FCのヘッドコーチに就任し、國領一平および齊藤隆成が育成型期限付き移籍で加入した。1996年のJリーグカップ、柏レイソル戦(8月14日、大分市営陸上競技場=サンガ主催ゲーム)が台風のため中止となったが、Jリーグ公式戦が中止となった初めてのケースである。なお、代替試合は西京極が芝生の張替え工事中につき使用できなかったため、G大阪の許可を得て、G大阪のホームスタジアムである万博記念競技場で8月24日に開催された。毎年8月16日の夜に、京都の夏を代表する風物詩として知られる「五山送り火」が行われる。当日はネオンや照明灯などの灯火を自粛するよう京都市から呼びかけが行われるため、サンガのホームゲームが重複する際は以下のような対応がとられた。Jリーグ2ndステージ・第5節の横浜M戦が8月15日に開催された(他クラブは8月16日開催)。なお、試合は1-4でサンガの敗戦。J2第34節の札幌戦が8月16日の17時20分キックオフの薄暮開催となった。なお、試合は2-3でサンガの敗戦。J1からの降格が4度(2000、2003、2006、2010)、J2からの昇格が3度(2001、2005、2007)あるが、いずれも札幌と並んでJリーグ最多である(エレベータークラブも参照)。
出典:wikipedia
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