大分トリニータ(おおいたトリニータ、Oita Trinita)は、日本の大分市、別府市、佐伯市を中心とする大分県全県をホームタウンと擦る日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。運営法人は株式会社大分フットボールクラブであり、1999年にJリーグへ加盟した。ホームスタジアムは大分銀行ドーム、練習場は大分スポーツクラブおよび大分スポーツ公園サッカー・ラグビー場である(詳細は#ホームスタジアム・練習場を参照)。クラブ名は、三位一体を表す英語「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語で、イタリア語で「三位一体」を表すTrinitaと同じ綴りになっている。県民・企業・行政が一致団結することを表している。2006年、エンブレム、ロゴマーク、チームフラッグが「Tフレアー」と呼ばれるデザインコンセプトにより一新され、クラブとしての略称「大分FC」が「FC大分」に変更された。運営法人名とは無関係。クラブマスコットは、亀がモチーフのニータン と、ウサギをモチーフにした準マスコットのリッジー。1994年4月に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足。競技登録上のチーム名は「大分」または「大分FC」で、「大分トリニティ」という愛称が付けられた。大分県社会人サッカーリーグ(当時は1部リーグのみ)と九州サッカーリーグを連覇して1996年に全国地域サッカーリーグ決勝大会(地元大分市営陸上競技場で開催)で2位に入り、発足から2年でジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ昇格。当初は文正植、朴景和と韓国人監督の下、外国籍選手についても元韓国代表の皇甫官、崔大植などを中心としたチームだった。1998年、ブラジル人監督のを招聘し、外国籍選手にウィルを補強。JFL最後のシーズンは6位であった。1999年1月に運営法人となる株式会社大分フットボールクラブを設立。1999年から発足したJリーグ ディビジョン2(J2)に初年度から参加した。なお、「トリニティ」の名前が商標登録の関係で正式なチーム名として使えないため、同年より「大分トリニータ」へ改称した。監督に前山形監督の石崎信弘が就任。J2初年度からJ1昇格争いに加わるが、1999年・2000年とも2年連続で2位との勝ち点差1の3位で昇格を逃した。2001年はシーズン当初より不振で5月に石崎を監督より解任し、小林伸二が後任の監督に就任。最終節まで昇格を争うところまで持ち直したが、結局6位に終わった。2002年は浮氣哲郎やサンドロ、アンドラジーニャなどのライバルチームの選手を補強し、前年作り上げた堅守速攻を武器に序盤から首位を独走。J2優勝とJ1昇格を果たした。また、最終節で史上初のJ2通算100勝を達成した。開幕戦など重要な試合ではサポーターがカラーボードを掲げている(コレオグラフィー、人文字)。2003年のJリーグカップの京都戦(3月8日、西京極)で、1-1で迎えた後半17分、大分・高松大樹が負傷したために京都側はボールを一旦フィールドの外に出した。試合再開後に大分も京都の選手に向かって蹴ったが、そのボールをロドリゴがカットし、そのままゴールを決めてしまった。ルール上は大分の得点として認められるが、京都側はマナーに反する行為であるとして猛烈に抗議し、会場は一時騒然となった。その後京都側のキックオフで試合が再開されたが、当時大分の監督だった小林伸二は選手に対し守備を放棄するように指示。京都・中払大介のシュートを大分守備陣は見送り、スコアは2-2と再びイーブンになった。奇しくもこの試合はtotoGOALがスタートして最初の試合だった。「totoGOAL」は指定されたチームの得点を「0点」「1点」「2点」「3点以上」で予想するものであるため、今回の出来事がtotoGOALの結果を変えてしまったという点で問題となったが、日本サッカー協会・川淵三郎キャプテンは大分の守備放棄という行為に対して「あの状況では仕方がなかった」という見解を示し、Jリーグ側も大分を処罰しなかった。2007年のJリーグの第18節の横浜F・マリノス戦(6月30日、九州石油ドーム)で0-3と惨敗。連敗続き、そして自動降格圏17位でチームに対し、約1,000人のサポーターがスタジアムに試合終了後2時間居残り、不甲斐ないチームや経営陣への不満を爆発させた。サポーターに対し、一度はスタッフが説明を行ったが、「社長出て来い」とサポーターは収まらず、最終的には社長の溝畑宏が「近日中に話し合いの場を設ける」ことを約束。7月8日に経営陣とサポーター代表との話し合いが持たれた。チームは2007年リーグ後半戦の16試合を「リベンジ16」と銘打ち、「リベンジ三戦士」として鈴木慎吾・ホベルト・エジミウソンを獲得、即戦力の補強を行なうと、「リッジー」がこのプロジェクトのキャラクターとして登場し、これを盛り上げた。この16試合を8勝7敗1分と、ほぼ五分の成績で終え、「前半戦で降格圏内にいるチームはJ2に降格する」というジンクスを見事に破り、J1残留を果たした。「リベンジ16」の中で唯一対戦していなかった横浜FMについては、2007年に2戦とも大敗かつ無得点(第7節・A0-5/第18節・H0-3)だったことから、2008年のホームゲームで「リベンジ」と銘打ってリッジーも再登場のもと行なわれた。試合は1-0で勝利し、リベンジを果たした。2009年2月25日前年のナビスコカップ優勝を受けて製作され、この日2008年在籍した、選手・監督・コーチ・職員に配られた。ナビスコカップ優勝時の記念品として、優勝メダルが決勝戦ベンチ登録されたメンバー全員に主催者により送られた。しかしメダルはその試合に登録されたメンバーしかもらえず、選手や監督・コーチ・裏方さんみんなの力で優勝できた、みんなで優勝の喜びを分かち合いたいと言うことで、当時の社長・溝畑宏の発案、SOPH代表取締役清永浩文のデザインによって製作された。男女1人ずつが交代で担当している。原則的にクラブと協力関係にあるエフエム大分のDJが担当する場合が多い。2014年にクラブ創立20周年を迎えた大分は特設サイトを開設し、更には同年6月21日の愛媛FC戦を「20周年記念試合・大分県民DAY」と銘打ち開催した。試合前には大型ビジョンにて歴代ベストイレブンが発表された他、過去に大分に在籍した西川周作、森重真人、清武弘嗣からのメッセージも公開された。歴代ベストイレブンは以下の通り。
出典:wikipedia
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