大宮アルディージャ(おおみやアルディージャ、)は、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。1969年創部の電電関東サッカー部が前身であり、1999年にJリーグへ加盟した。ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮、練習場は大宮アルディージャ練習場(さいたま市高木サッカー場)である(詳細は#ホームスタジアム・練習場を参照)。運営会社はエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ(NTTスポーツコミュニティ)株式会社である。クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」は、スペイン語でリスを意味する「Ardilla」に由来し、読みやすいように変更した造語(Ll参照)である 。なお、リスは、大宮市(現:さいたま市)が1990年の市制施行50周年記念の際に定めたマスコットである。ダービーマッチとして浦和レッドダイヤモンズとの対戦をさいたまダービー、柏レイソルとの対戦を野田線ダービー(本拠地に東武野田線が走ることから)と呼称している。1969年に旧浦和市で結成された電電関東サッカー部が前身であり、1987年から1992年まで日本サッカーリーグ2部に在籍した。1998年、旧大宮市をホームタウンとしてチーム名を「大宮アルディージャ」へ改称。1998年12月、東日本電信電話 が中心となりNTTドコモ、NTTデータ、NTTファシリティーズ、NTTコムウェア、日本コムシスなどのNTTグループおよび関連企業18社が出資して運営会社となる「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された。1999年、オランダ人のピム・ファーベークが監督に就任。序盤は首位争いをしていたが、その牽引役だったFWヨルン・ブーレが深夜の飲食店で暴漢に襲われ左眼失明の重傷を負って引退して以降失速し、最終成績はリーグ6位。2000年、三浦俊也が監督に就任。この年、初めて浦和との「さいたまダービー」が行われた(大宮の1勝3敗)。2001年、前半戦を17勝3分2敗の首位で終えたが、後半戦はFWジョルジーニョおよびパナマ代表FWのバルデスが共に重傷を負い、後半戦より加入したバレーが活躍したが、後半戦は9勝3分10敗の成績で最終順位は5位であった。なお、この年限りで三浦は監督を辞任した。2004年、3シーズンぶりに三浦が監督に就任。11月20日の水戸戦で勝利してJ1自動昇格条件の2位以上を確定。シーズン2位の成績で2005年からのJ1昇格を決めた。元ブラジル代表のFWクリスティアンや、地元大宮出身のFW桜井直人、元日本代表MF藤本主税などを補強。リーグ戦は第16節時点で7位につけたが、リーグ戦15試合で6得点のクリスティアンがサンパウロFCに移籍した。また、桜井をはじめ故障者が続出し、第22節から第28節まで7連敗。第28節時点で16位まで順位を下げたが、レアンドロ、若林学らの活躍もあり第29節から4連勝して、最終成績は13位。優勝したG大阪に2戦2勝だったほか、ホームのさいたまダービーに勝利した。ナビスコ杯はベスト8。天皇杯はベスト4へ進出した。柏からDF土屋征夫、波戸康広、東京VからMF小林慶行、小林大悟、神戸から佐伯直哉を獲得し、またFWには吉原宏太(G大阪)、サウル・マルティネス(前・上海申花・ホンジュラス代表)、GK江角浩司(前・大分)など各ポジションに選手を補強、シーズン途中に元磐田のFWロドリーゴ・グラウを獲得した。しかし、マルティネスは不振のため4月末で解雇され、グラウはレンタル移籍であったが本人の希望により契約延長せず、わずか3ヶ月で退団した。シーズン終盤にブラジル人FWのアリソンを補強したが、チーム浮上のきっかけとはならず、12位でシーズンを終えた。シーズン終了後、三浦が監督を退任。元監督ピム・ファーベークの弟であるロバート・ファーベークが監督に就任。トニーニョが退団。久永辰徳はレンタル期間満了(福岡へ復帰)、土屋が東京Vへ完全移籍した。リーグ戦は前半戦で3勝7分8敗の16位(入れ替え戦圏内)と低迷。ロバートは解任され、強化育成部長の佐久間悟が監督に就任。その後もチームの調子は急浮上と行かなかったものの、15位でJ1残留となった。三浦の退任時からオファーを出していた山形元監督の樋口靖洋が監督に就任。樋口は攻撃的なサッカーを志向し、第14節時点で7位につけたが、後半は無得点記録と6連敗を記録し、12勝7分け15敗の12位に終わり、1年で退任となった。監督に東京Vや札幌で指揮を執っていた張外龍が就任。GK荒谷弘樹(札幌へ)、MF佐伯直哉(千葉へ)、MF小林大悟(ノルウェー1部・スターベクIFへレンタル)、FW吉原宏太(水戸へ)が移籍した一方、札幌にレンタル移籍していたGK高木貴弘が復帰。湘南からFW石原直樹、鳥栖からFW藤田祥史、韓国・水原からDFマト、浦項からMF朴原載が移籍。またレンタル移籍だったMF内田智也が完全移籍となった。開幕当初から主将のMF小林慶行などケガ人が続出したうえ、その小林慶が張の構想から外れて柏へレンタル移籍するなど苦戦が続き、シーズン終盤で辛くもJ1残留を果たすに留まった。また、“アルディージャの誓い”の中に目標として掲げていた「2009年までに年間観客動員300,000人!」をリーグ戦ホーム最終戦(J1残留を決めた柏戦)で達成した(後に水増しであったことが発覚)。張が監督を続投。主力選手だったDF波戸康広が横浜FMへ、DF冨田大介が神戸へ、MF片岡洋介は京都へ移籍したが、新潟の正GKだった北野貴之、大分からDF深谷友基、甲府からDF杉山新らを獲得した。また、開幕直前にはDF塚本泰史が右大腿骨の骨肉腫を患っていたことが明らかになった。3月7日のC大阪戦に3-0で勝利し、第1節終了時ではあるが、チームとして初のJ1単独首位に立ったが、第8節終了時で1勝2分5敗の成績で、張が監督を辞任。後任に元新潟監督の鈴木淳が監督に就任すると、チーム状態は上向き、結果的にホーム最終戦の第33節でJ1残留を決めた。10月2日に埼玉スタジアムで行われた浦和戦で観客数水増しが発覚、発覚当初、クラブ側は全面否定したものの、翌日にリーグ事務局の本格調査が入ると一転して4,000人以上の水増しを認め、10月19日に渡邉誠吾は代表取締役を辞任した。2007年11月以降に主管した58試合で観客数を水増しし、その合計は111,737人であった。11月16日、社団法人日本プロサッカーリーグより譴責(始末書の提出)および制裁金2,000万円の処分が課せられた。鈴木体制2年目。マトと李浩が退団。安英学が柏へ、藤田祥史が横浜FCへ、内田智也が甲府へ完全移籍。市川雅彦が東京Vへレンタル移籍。レンタル移籍で加入していた多田大介は鳥取へ移籍した。土岐田洸平(大分)、新井涼平(FC岐阜)のレンタル移籍期間も延長された。一方、京都から片岡洋介が復帰。同じく京都から渡邉大剛、FC東京から金英權、大分から東慶悟、磐田から上田康太が完全移籍で加入し、レンタル移籍だった坪内秀介は完全移籍となり、清水慎太郎が加入した。8月にはCRヴァスコ・ダ・ガマから、7月までC大阪に所属していたホドリゴ・ピンパォンをレンタル移籍で獲得した。リーグ戦は連勝も連敗(3連敗が1度だけ)もないという星取りで、ホームゲームで勝てない(8月27日の第24節・磐田戦でようやく1勝目。12月3日の第34節・甲府戦で2勝目)という状況だったが、11月19日の第32節・鹿島戦前にJ1残留が確定。最終順位は13位。天皇杯は初戦で福岡大学にPK戦で敗退した。12月に塚本泰史との契約を解除した(翌年1月にアンバサダーに就任)。鈴木体制3年目。ホドリゴ・ピンパォン、李天秀が退団。7年間在籍していた藤本主税が熊本に、石原直樹が広島に、杉山新が横浜FCに、2年間岐阜にレンタル移籍していた新井涼平が北九州に完全移籍。木原正和が福岡へ、宮崎泰右が湘南にレンタル移籍。富山にレンタル移籍していた福田俊介、大分にレンタル移籍していた土岐田洸平はレンタル移籍期間延長となった。補強としては新潟からチョ・ヨンチョル、川崎から菊地光将、山形から長谷川悠、G大阪から下平匠を完全移籍で獲得。また、新外国人選手としてサンパウロFCからカルリーニョスを期限付き移籍で獲得し、市川雅彦をレンタル移籍から復帰させた。シーズン開始後、第2節終了時に8位であったが、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選によるリーグ戦中断直前の第13節終了時点で15位の順位であった。5月、監督の鈴木淳、ヘッドコーチの石井知幸を解任し、6月に千葉などの元監督のズデンコ・ベルデニックが監督に、ユースコーチだった井上卓也がヘッドコーチにそれぞれ就任した。戦力面では7月にFWラファエルがボタフォゴFRへ移籍した一方、FWノヴァコヴィッチ、ズラタンやDF河本裕之を獲得した。第24節時点で17位に順位を落としたが、第24節・浦和戦(引分)から最終節までリーグ戦11戦連続(5勝6分)、天皇杯を含めて公式戦13試合連続負けなしを記録。第33節の磐田戦に勝利した時点でJ1残留を確定。最終順位は13位。ベルデニック体制2年目。市川雅彦が退団。東慶悟がFC東京に、深谷友基が大分に完全移籍。レンタル移籍していた木原正和(福岡)、土岐田洸平(大分)が完全移籍に移行。河本裕之は期限移籍満了で神戸に復帰。金久保順は福岡に、イ・グノが北九州にレンタル移籍した。補強は東京Vから高橋祥平を、レンタル移籍だったカルリーニョスが完全移籍で獲得。福田俊介、宮崎泰右がレンタル移籍から復帰。富山貴光、今井智基、川田修平が加入した。リーグ戦は、前年後半からの無敗を継続。第7節浦和戦で鹿島が持っていたJ1連続無敗記録を更新すると、次の柏戦で首位に立ち、第11節仙台戦で敗北を喫するまでにJ1記録を21(13勝8分)に伸ばした。ナビスコカップはグループリーグ敗退。J1リーグ戦でも、コンフェデレーションズカップによる中断明けの7月、第16節から連敗を喫し、5連敗目となった第20節の翌日の8月11日にベルデニックを解任して、小倉勉が監督に就任。なお、カルリーニョスが磐田へ、清水慎太郎が岡山へレンタル移籍したが、仙台から和田拓也、元シドニーFCでオーストラリア代表のニールを補強した。しかし、小倉指揮下でもJ1リーグ戦で連敗を止めることができず、結果的に連敗は8まで伸びたが、第24節横浜F・マリノス戦で連敗を止めた。第25節から第32節までシーズン2度目の8連敗を喫したが、第33節・第34節と連勝して最終順位は14位。なお、第34節湘南戦の勝利により、J1通算100勝を達成した。シーズン終了後に小倉が監督を退任した。また、岡本武行がGM、古矢武士が強化部長をそれぞれ退任した。元FC東京監督の大熊清が監督に就任。橋本早十がタイのチョンブリーFCへ、青木拓矢が浦和へ、下平匠が横浜FMへ、鈴木規郎が仙台へ完全移籍、宮崎泰右が群馬へ、福岡へレンタル移籍した金久保順が川崎へ、北九州へレンタル移籍してた李根鎬がJ3・ブラウブリッツ秋田へレンタル移籍、清水慎太郎(岡山)のレンタル移籍期間が延長、ノヴァコヴィッチがレンタル移籍期間満了(後に清水へ移籍)、ニールが退団した。一方でC大阪から横山知伸を、FC東京から中村北斗を、水戸から橋本晃司を、RCDマヨルカから家長昭博を完全移籍で獲得。藤井悠太、高瀬優孝、大山啓輔、泉澤仁が加入した。リーグ戦では、開幕2戦で連敗後、第3、4節と連勝し一旦8位まで順位を上げるものの、直後の第5節から4連敗を含む7試合未勝利となり、第12節時点で17位に順位を下げた。また、12節以降、ワールドカップによる中断期間前まで公式戦勝利から遠ざかる。ワールドカップによる中断中には2010年W杯セルビア代表のムルジャをレッドスター・ベオグラードから、またチョ・ウォニを慶南FCからそれぞれ補強した一方、チョ・ヨンチョルがカタールSC、ジェナン・ラドンチッチが大分トリニータにそれぞれ移籍した。中断期間終了後もリーグ戦10試合連続未勝利となった第24節終了後の8月31日に監督の大熊を解任し、コーチの渋谷洋樹が監督に就任した。渋谷の就任後は11戦で5勝1分5敗であったが降格圏から脱することが出来ず、16位で迎えた最終節はセレッソ大阪に2-0で勝利したものの、15位の清水エスパルスが引き分けた為、J2降格が決定した。渋谷体制2年目。塩田仁史がFC東京から、加藤順大を浦和から、河本裕之と大屋翼を神戸から、横谷繁を京都から、播戸竜二を鳥栖からいずれも完全移籍で獲得し、高山和真と小島幹敏が大宮ユースから昇格し、清水慎太郎が岡山から復帰した。一方、北野貴之とチョ・ウォニが退団し、増田誓志は、レンタル終了で蔚山現代へ復帰し、江角浩司が富山へ、中村北斗が福岡へ、高橋祥平が神戸へ、橋本晃司が川崎へ、長谷川悠が徳島へそれぞれ完全移籍した。リーグ戦は序盤はもたつき、第2節と第5節は、13位、10位と2桁順位になっていたが、着々と勝ちを積み重ね、第15節からは首位を一度も譲ることはなく、福岡や磐田との熾烈な自動昇格争いの末、1試合を残してJ2優勝と自動昇格を決めた。渋谷体制3年目。昇格初年度の目標として「勝ち点48」「年間順位7位から12位」を掲げた。沼田圭悟を讃岐から、岩上祐三を松本から、江坂任を群馬から、奥井諒を神戸から、ネイツ・ペチュニクを千葉から、松井謙弥を川崎から完全移籍で獲得。一方、カルリーニョスが徳島、藤井悠太が横浜FC、片岡洋介が鳥取、富山貴光が鳥栖、渡邉大剛が釜山アイパークへ完全移籍、清水慶記・高瀬優孝が群馬、川田修平が栃木へレンタル移籍した。開幕から順調に勝ち点を積み上げ、第13節鳥栖戦で江坂のあげたヘディングゴールで、J1通算400ゴールを達成した。また、家長が日本人選手ではJ1初となる二桁得点を達成した。第28節広島戦で6試合を残してJ1残留を確定。また、続く第29節の川崎戦も3-2で勝利し、クラブJ1過去最高の勝ち点46以上を確定。さらに今まで勝ちのなかったカシマサッカースタジアムでの第31節鹿島戦でも、3-1の勝利を収めて勝ち点を50に伸ばし、シーズンの目標である勝ち点48を達成した。2年ぶりに挑んだJリーグカップでは、予選トーナメント2位の成績で2005年以来の決勝トーナメントに進出。前回進出時と同じく横浜・F・マリノスとの準々決勝では、ホームでの第1戦は2-1で勝利するも、アウェーでの第2戦は0-1となり、2戦合計のスコアは2-2もアウェーゴールでは劣るため、準々決勝敗退となった。ホームスタジアムはさいたま市大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮 略称はNACK)であり、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でも不定期にホームゲームを開催する。なお、過去の開催スタジアムは下表を参照のこと。練習場は2013年よりさいたま市西区の「大宮アルディージャ練習場」(さいたま市高木サッカー場)を使用し、クラブハウス「オレンジキューブ」を併設している。なお、2012年以前はNTT東日本総合グラウンド(志木市)や秋葉の森総合公園サッカー場(さいたま市西区)を使用していた。(アルディージャホームページにデータが記載されている2001年以後。天皇杯は除く -=建設・改修中 Jリーグ杯=Jリーグカップ)リスをモチーフとしており、アルディは1998年、ミーヤは2008年に登場した。なお、2009年に公式マスコットとして認定された。両名とも2012年より「ゆる玉応援団」メンバー。アルディとミーヤは仲良しのカップルであり、公式プロフィールにもアルディの欄には「好きな女性のタイプ:ミーヤ」、ミーヤの欄には「将来の夢:アルディとNACK5スタジアム大宮で結婚式をあげること」と書かれている。また、公式サイトの「アルディとミーヤの日記」では必ずパートナーを褒める「おのろけ」コメントが入っていたり、ホーム試合では2匹揃って登場し、手をつなぐ、抱擁する、キスをするなど、夫婦や男女ペアのマスコットの多いJリーグマスコットの中でも際だったバカップルぶりを披露している。一方でミーヤは彼氏のアルディがいるにもかかわらず、埼玉県のマスコット・コバトン、さいたま市のマスコット・つなが竜ヌゥ や熊谷市のマスコット・ニャオざね にキスしたり、浦和のマスコット・レディア と親密になったり、Jリーグ特命PR部 女子マネージャーの足立梨花に抱きついたアルディ にビンタを見舞ったりもする 。なお、ミーヤは2012年にJ's Goalの「第1回 輝く!Jリーグマスコット大賞 主演女優賞」を受賞した。U-15
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