上砂川支線(かみすながわしせん)は、北海道砂川市の砂川駅と空知郡上砂川町の上砂川駅を結んでいた北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の支線の通称である。当初は、三井鉱山合名会社が保有する三井砂川炭鉱からの石炭輸送を行うために、三井側が土地を鉄道院へ寄付し、なおかつ三井側の資金により鉄道院が敷設した国鉄所属の専用線であり、1917年(大正6年)7月に鉄道院よりこの条件で敷設許可された。1926年(大正15年)に旅客扱いを始めるにあたり函館本線に組み込まれた。国鉄再建法に基づく特定地方交通線の指定が進められた際、上砂川支線は「函館本線の一部」として、函館本線と一体として輸送密度が計算されたため、特定地方交通線はおろか地方交通線にも指定されず、幹線として存置された。なお、当時の三井砂川炭鉱の出炭量は年間約100万トンであり、上砂川支線単独では、貨物輸送密度も幹線の条件(貨物輸送密度が4,000 t以上である線)にも該当していない。国鉄分割民営化に伴い、JR北海道へ承継されたが、炭鉱の閉山による貨物輸送廃止・沿線人口の減少に伴う旅客減少の影響もあり、廃線となった。JR北海道発足以来初の「幹線」廃止となった。廃止前から、北海道中央バスが既に並行して多くの路線バス(歌志内線・上砂川線)を運行していたため、代替交通機関は設定されなかった。当支線は歌志内線とほぼ平行しており、近いところでは1km程度の距離しか離れていなかった。同じ駅を起点とし、近い地点を経由し、運炭路線という似た性格を有しながら、当支線は歌志内線に比べ旅客・貨物の輸送量とも少なく、それにもかかわらず函館本線の支線であったゆえ当支線が存続した一方、歌志内線が独立した線名を有していたため廃止対象路線となったことは、特定地方交通線の硬直性を示す一例として知られる。1959年5月1日の運行本数は19往復1986年11月1日改正時の旅客列車しばらくの間、朝ラッシュ時にはキハ56形+キハ27形の2両編成、それ以降はキハ54形500番台を使用。後にキハ54形がキハ40形100番台に置き換えられた。ワンマン化以降はキハ22形700番台が使用され、末期はキハ40形700番台が使用された。なお、ワンマン化後の車両は、キハ22形700番台は苫小牧運転所の所属、キハ40形700番台は旭川運転所の所属である。所在地は廃止時点のもの。全駅北海道(空知支庁管内)に所在。上砂川線廃止以前に廃止されていたもの。
出典:wikipedia
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