『さすらう若者の歌』(または「さすらう若人の歌」とも、独語:"Lieder eines fahrenden Gesellen" )は、グスタフ・マーラーの歌曲集のうち、統一テーマによって作曲された最初の連作歌曲集である。低声とピアノ(もしくはオーケストラ)伴奏のために作曲されている。マーラー自身の悲恋に触発されて作曲されたものと広く信じられてきた。マーラーの最も有名な作品の一つとなっている。以下の4曲からなる。全4曲の演奏時間は約16分。本作の成立史は複雑で、跡付けがしにくい。どうやら1884年12月には着手され、1885年には完成していたらしい。しかしながら、おそらく1891年から1896年にかけて大幅に改訂を行なっている。1890年代初頭にはピアノ伴奏の原曲にオーケストレーションを施している。こうした成り行きから、現存する資料ごとにさまざまな食い違いが認められる。初演が行われたのは、どうやら管弦楽伴奏版(1896年)が先だったようだが、ピアノ伴奏版の初演が数えられなかったという可能性もなくない。1897年出版。マーラー自身の作詞によるが、マーラーお気に入りのドイツ民謡集『子供の魔法の角笛』に影響されており、第1曲は実際に『子供の魔法の角笛』の "Wann" "mein Schatz"を下敷きにしている。曲名は日本語では「さすらう若者の歌」と訳されているが、ドイツ語の “ein Geselle” とは、フリッツ・シュピーグルが指摘しているように、「マイスター(親方)」の称号を取得するために、ドイツ語圏を広く渡り歩いた職人のことを指している。親方の称号を手に入れられずにいるベテラン職人のことも言うため、必ずしも「若人」とは限らない。このような遍歴職人は徒弟と親方の中間に当たり、伝統的に各地のさまざまな親方の下で日雇いで修行を積んだ。したがって、より適切な日本語訳は「遍歴職人の歌」となろう。なお、ドイツのマイスター制度には、一般にLehrling(見習い、徒弟)、Geselle(職人)、Meister(親方)の3段階があり、職人は、いわば武者修行として、自分の居住地から離れて、一定期間、他の親方のもとで仕事を学ぶという習慣があった。このような職人は、やがて定住することも多かった。このように明記すると、この連作には一種の自叙伝的な側面が浮かび上がる。新進気鋭の作曲家および指揮者として、マーラー自身がどこかしら「学生」と「マイスター(巨匠)」のはざまにいて、技能を磨き、偉大な巨匠から学びながら、実際に数々の都市を遍歴したからである(バート・ハル、ライバッハ、オルミュッツ、カッセル、ハンブルク、ウィーンなど)。この歌曲の“Lider eines fahrenden Gesellen”の単語訳は“歌・一人の・旅するもの・一緒になる”である。この歌詞を書いた若きマーラーは報われない片思いの女性歌手に夢中になった。男は、恋人を失った悲しみを他人に打ち明けている。男は世界の美しさについて語るが、それは悲しい夢から自分を目覚めさせてはくれないのだ。オーケストラの質感は、ダブルリードや弦楽器の多用によって、甘く切ない。曲集中で最も陽気な楽曲。実際にも歌われているのは、鳥のさえずりや牧場のしずくのような何気ないものの中で、美しい自然界を練り歩く喜びであり、「これが愛すべき自然ではないというのか?」という自問自答がルフランで繰り返される。しかしながら、男は最後になって、恋人が去ってしまった以上、自分の幸せが花開くこともないのだと気づいてしまう。管弦楽伴奏版は、繊細な音色操作が行われ、高音域で弦楽器やフルートが利用され、トライアングルもかなり活用されている。この曲の旋律は交響曲第1番の第1楽章にも利用された。絶望の表現に満たされている。主人公は、失った恋人が自分の心臓に鋼のナイフを突き立てたという思いに苦しんでいる。主人公は、身の回りのすべてのものが恋人を連想させるというほどに、明らかに執念にとり憑かれており、自分にナイフがあればよいとさえ願う。音楽は濃密かつ感動的で、主人公の妄執の悩ましさに一致している。明らかに解決の楽章である。控えめで穏やかで叙情的で、和声法はしばしばコラール風である。恋人のまなざしの面影にどんなに自分が苦しめられたか、もう耐えられないほどだと歌われている。男は菩提樹の木陰に横たわり、何事も起こらなければよい、万事好転すればよい(「何もかも。恋も、悲しみも、世界も、夢も!」)と願いながら、花びらが体の上に覆いかぶさるのに任せる。この曲の旋律も交響曲第1番の第3楽章に転用された。
出典:wikipedia
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