片埜神社(かたのじんじゃ)は、大阪府枚方市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。このほか、明治時代の近隣の神社の合祀により以下の神が祭神に加えられている(八幡神を祀る神社が複数あったため、八幡神が計4柱祀られている)。社家である岡田家の家譜には「土師家の鎮守」と書かれている、なお、当社の祭神について『神名帳考証』には「饒速日命」、『特選神名牒』には「交野忌寸の祖神」と書かれているが、片埜神社側ではこれらを否定している。社伝によれば、垂仁天皇の時代に、出雲国の豪族である野見宿禰が、当麻蹴速との相撲に勝った恩賞として当地を拝領し、出雲の祖神である素盞嗚尊を祀って一族の鎮守としたのに始まる。「片埜」(片野、交野)はこの一帯の古名で、交野市の地名の由来でもある。平安中期、野見宿禰の後裔である菅原道真が天神として祀られるようになると、天徳4年に当社でも菅原道真が配祀された。社家の岡田家は野見宿禰の後裔である。『延喜式神名帳』では「河内国交野郡 片野神社 鍬靫」と記され、式内小社に列している。かつては広大な社地を有し、「交野の御野」「牧野の桜」と呼ばれる桜の名所として歌枕ともなっていた。なお当社は「河州一之宮」と称しているが、正しくは交野郡一宮であって河内国の一宮ではない。のちの豊臣秀頼による修復も、交野郡の一宮(牧野坂の片埜神社)、二宮(舟橋の二ノ宮神社)、三宮(穂谷の三ノ宮神社)を大阪城鬼門鎮護の神社として修復させたものである。戦国時代の戦乱で荒廃したが、豊臣秀吉によって復興され、大坂城の鬼門の方角にあることから鬼門鎮護の社とされた。大坂城天守の北東の石垣に鬼面を刻み(これは現存しない)、当社と対面させたという。慶長7年(1602年)には、子の秀頼によって本殿、拝殿などの社殿が大造営された。そのうち本殿と南門が現存し、本殿は国の重要文化財に指定されている。大坂城の鬼門除けの神社とされたことから、現在でも方除・厄除の神として信仰されている。またこれらのことにより、鬼は片埜神社の象徴・守り神とされている。絵馬や御朱印には鬼面が描かれており、節分の豆まきでは「鬼は内」と唱える。江戸時代までは「一宮牛頭天王」を正式名称としていたが、明治時代にかつての「片埜神社」に復した。明治時代に旧牧野村内の以下の神社を合祀した。合祀前の式内・久須須美神社は旧坂村字九頭神の氏神であった。鎮座地は当社の南東の現在の牧野本町1丁目7番地のあたりだが、住宅地となっており場所の特定は難しくなっている。祭神は神社名のままの「久須須美大神」としていた。神社本庁『平成祭礼データ』では、久須須美神は櫛御気野神・家津御子神・熊野櫛御毛奴神・熊野加武呂乃神などと異名同神としている。式内・久須須美神社の社号標が片埜神社境内の林の中に建てられている。なお、大和国城下郡にも同名の式内社(現 村屋坐弥富津比売神社境内摂社)があるが、関連は不詳である。両社とも境内地の東方にあり、枚方東消防署阪出張所を挟むように建っている。
出典:wikipedia
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