営団1700形電車(えいだん1700がたでんしゃ)は、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)が銀座線用に投入した通勤形電車である。本項では1700形とほぼ同一の形態で先に製造されていた営団1500形電車(初代)・営団1600形電車、及び1700形の客用扉を両開きに改良した営団1800形電車についても記述する。なお、本項では1500形は本項で扱う1500形(初代)を指し、1968年及び1981年に製造された1500形(2代)はそれぞれ製造年別に1500N形、1500NN形と記述する。1954年(昭和29年)に、銀座線輸送力増強のために、3両(車両番号:1572 - 1574)が製造された。1572は東急車輛製造製、1573・1574は近畿車輛製である。車体構造は丸ノ内線車両(300形)の設計思想が大きく採り入れられ、二重構造の張り上げ屋根となっている。窓寸法も300形にあわせて拡大されたが、客用扉は片開きとされた。前面は300形から方向幕を取り去り、前照灯を従来同様屋根前端部1灯とした形態で、貫通扉が1600形以降よりも狭い。2000形までの銀座線各形式の前面スタイルの基礎を作ったものといえる。それまでの車両は屋根部を赤茶色に塗り分けていたが、本形式ではすべてオレンジ1色とされた(後に他形式も屋根を含めてオレンジ一色になっている)。電機品は東京地下鉄道系の流れを汲む釣り掛け駆動・ABF制御で、主電動機は1両につき2個である。1955年(昭和30年)から1956年(昭和31年)にかけて銀座線輸送力増強のために15両(車両番号:1675 - 1689)が製造された。製造は近畿車輛・汽車製造・川崎車輛・帝國車輛工業・東急車輛製造である。車体構造および電装品は基本的には1500形とほぼ同一であるが、前面貫通扉の幅が550mmから700mmに広くなった点が目新しい。1956年製の1685 - 1689は車体について丸ノ内線用400形の思想が盛り込まれた若干の設計変更がなされ、屋根構造が二段から一段とされた。1956年(昭和31年)に1701 - 1718の18両が製造された。製造は川崎車輛・東急車輛製造・近畿車輛・汽車製造・日本車輌製造・帝國車輛工業・日立製作所である。形態は1600形の後期型 (1685 - 1689) に準じた片開き扉を持つものだが、屋根肩部の通風口の形状に差異がある。車両番号については、1600形が1689まで達していたことから改めて番号を01から振り直している。銀座線は1500N形を投入した際固定編成化が実施されたが、1500N形を組み込まない編成も若干出現した。この編成の出力調整のため、1702 - 1710の9両が1200形・1300形から電装解除時に発生した主電動機を流用して、主電動機が2個から4個に強化されている。電動機増強が行われた車両は、車両番号の頭に“+”が標記された。1981年(昭和56年)に丸ノ内線方南町支線の輸送力増強のための2000形転出に伴い、補充として1500NN形が増備されたが、その際に1703・1704・1707・1708は電動機を2個に戻された。1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて、銀座線の輸送力増強用として8両(車両番号:1819 - 1826)が帝國車輛工業と日立製作所の2社で製造された。丸ノ内線300形の設計思想をより具現化し、銀座線では初めて両開き扉を採用した。また、車内放送装置や簡易行先表示器なども、同線で採用されたのは当形式からである。なお、駆動方式は吊掛式のままであるため、性能的には1700形までの形式とほぼ同一である。1968年の1500N形導入により、銀座線車両は固定編成化が進められ、その結果本項4形式については全車編成の中間(主に浅草寄りから3両目の4号車)で使用されるようになった。但し、1200形・1300形・1400形で実施された運転台機器の撤去は行われなかった。01系の増備に伴い、1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)までに全車営業運転から離脱し、廃車となった。廃車後は全車解体されており、現存するものはないが、1825の台車と機器は地下鉄博物館に保存されており、主電動機は100形129カットボディ内の機器操作により可動する。
出典:wikipedia
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