松平 信宝(まつだいら のぶみち)は、江戸時代後期から幕末の大名。出羽上山藩の第8代藩主。藤井松平家嫡流14代。文化14年(1817年)5月19日、第7代藩主松平信行の長男として生まれる。天保2年(1831年)10月9日、父の隠居により家督を継いだ。同年12月に叙任する。外桜田門番、和田倉門番、大坂加番などを務め、天保の大飢饉では飛び地領から米を輸送し領民の救済に充てた。天保11年(1840年)に天輔館に代わる新たな藩校を設置し、名を明新館とした(現在の山形県立上山明新館高校の起源)。安政6年(1859年)、領内に社倉を設置して農民に米穀の備蓄をさせた。文久2年(1862年)4月6日、長男の信庸に家督を譲って隠居し、明治5年(1872年)3月7日に死去した。享年56。
出典:wikipedia
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