郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - )は日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手、調教師。1962年に中央競馬で騎手デビュー。力強い騎乗振りから「剛腕」との異名を取り、1979年には全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)を獲得。1993年までに通算11906戦1515勝、うち八大競走・GI級競走10勝を含む重賞83勝を挙げた。騎手引退後は調教師に転身し、中山グランドジャンプ2勝のゴーカイを管理した。2011年に調教師を引退。元JRA騎手の郷原洋司は実子。吉野勇は岳父。1944年、農家の次男として生まれる。幼少期より農耕馬などに乗り馬に親しんだ。中学時代から騎手を志し、卒業後の1959年に馬事公苑騎手養成長期課程に入所。修了後の1961年より、騎手候補生として中山競馬場の大久保房松厩舎に入門、翌1962年3月に騎手デビューを果たした。同期には中島啓之、榎屋忍(当時)、中神輝一郎などがいる。初年度は8勝だったが、2年目に31勝と躍進。3年目に38勝を挙げて初めて全国ランキング一桁台となる9位に付け、以後ランキングは上位で定着し、一流騎手の一名となっていった。1967年にリュウズキに騎乗して皐月賞を制し、八大競走を初制覇。この年79勝を挙げて初の関東リーディングジョッキーを獲得した。その後も順調に勝利数を伸ばしていたが、1971年、右足に痛風を患い、痛みに耐えかねて一時引退を考える。しかし懇意であった馬主の栗林友二に説得されて翻意し、体質改善により痛風を克服した。その後復調し、1974年、1975年、1978年と3度の関東リーディングジョッキーを獲得。この間イチフジイサミで1975年春の天皇賞、プレストウコウで1977年の菊花賞を制している。1979年には、1月15日に史上5人目となる通算1000勝を達成。春秋の天皇賞をそれぞれカシュウチカラ、スリージャイアンツで制し、さらにこの年64勝で初の全国リーディングジョッキーを獲得した。翌1980年にはオペックホースで東京優駿(日本ダービー)を制し、ダービージョッキーおよびクラシック三冠騎手となる。その後、1983年の全国8位を最後にランキング上位からは遠ざかるようになったが、1987年から1988年にかけてはニッポーテイオーとのコンビで天皇賞(秋)をはじめとする3つのGI競走を制覇、1989年にはウィナーズサークルで二度目の東京優駿制覇を果たしている。また、1988年より日本騎手クラブの会長に選出され、引退まで5年間を務めた。1991年12月8日、史上4人目となる通算1500勝を達成。これを受けて翌1992年1月に日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞した。そして1993年2月28日をもって騎手を引退。通算1515勝は史上第4位の記録(当時)であった。騎手引退3日後に調教師免許を取得し、美浦トレーニングセンターに厩舎を開業した。長らく重賞勝利などの目立った活躍がなかったが、1999年に管理馬ゴーカイが東京オータムジャンプを制して重賞初勝利を挙げると、翌2000年には同馬が中山グランドジャンプを制し、障害競走ながらGI初制覇を果たした。この翌年もゴーカイで中山グランドジャンプ連覇を果たしている。晩年にはゴーカイ産駒のオープンガーデンでも中山グランドジャンプ2着などの成績を残した。2011年2月10日、2月28日をもって定年を3年残して調教師を引退することが、日本中央競馬会より発表された。引退に際してはゴーカイとその産駒に対して「助けられ、励まされ、楽しませてもらいました」とのコメントを残した。騎手時代は、馬を力強く追うことから「剛腕・郷原」と呼ばれた。野平祐二は郷原を評して「馬を追えることにかけては日本競馬史上最も秀でた騎手」と賞賛を送っている。また、郷原自身も騎乗技術の手本としたのは野平であり、異名から想起されるイメージとは異なり、リスクの少ない先行抜け出しを好み、フェアでスマートな騎乗が身上であった。郷原は馬を追う時に大切なこととして「空気抵抗を避ける、ハミを固定する、馬の動きを妨げない」とし、「腕っ節の強さはあまり関係ない」と「剛腕」の異名を自ら否定する発言を行っている。また、同じ関東所属で「闘将」と呼ばれた加賀武見とは自他共に認めるライバルであり、「加賀と郷原が同じレースで逃げ馬に乗っていたら、競り合って潰れるから馬券は買うな」という格言もあった。なお1988年に加賀の引退により郷原が日本騎手クラブの会長を代行し、その後正式に後任の会長に就任した。騎手生活を通じて牝馬限定競走のビッグタイトルに縁がなく、その点では牝馬クラシック2勝を挙げている加賀と対照的で、1988年の優駿牝馬(オークス)でサンキョウセッツに騎乗した際、民放のテレビ中継で実況を務めた堺正幸が勝ったコスモドリームをサンキョウセッツと誤認し「郷原やっと牝馬のタイトル、クラシックタイトルを制しました」と実況される椿事が発生している(詳しくは コスモドリーム#エピソードを参照のこと)。牝馬での活躍がなかったことについて、郷原自身は「そんな異名(剛腕)が付いちゃったから、牝馬の依頼がなかったんじゃないかな。郷原を乗せたら馬が壊れるんじゃないかって」と受け流している。※括弧内は郷原騎乗による優勝重賞競走。※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
出典:wikipedia
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