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菊池城

菊池城(きくちじょう)は、熊本県菊池市隈府にある中世の山城跡で、菊池氏の本拠であった。通常、菊池氏の本城(居城)を隈府城とするので、別名で隈府城とも呼ばれる。菊池十八城と呼ばれる城砦の一つで、正平年間に菊池武政により築城された。菊池氏は九州における南朝方の有力者で、後に肥後守護に任じられ現菊池市は城下町として栄えた。戦国時代に入ると菊池氏は内紛を繰り返して衰退し、家督を阿蘇氏や豊後大友氏に奪われ菊池氏正統は没落した。後、菊池氏の一族で菊池三家老の赤星親家が城主となるが、同じ菊池三家老の隈部親永に圧迫され、1578年(天正6年)親家の子赤星統家の時、龍造寺氏と結んだ親永によって赤星氏は菊池城を追われた。1580年(天正8年)親永が入城し、北上する島津氏と対峙したが、隈部氏は篭城してこれを凌いで島津氏と和睦し所領を安堵された。1587年(天正15年)羽柴秀吉の九州平定後、親永は佐々成政の配下に組み込まれるが、同年親永が菊池城に拠って成政に反抗したため、反乱が鎮圧された後に菊池城は破却された。菊池城は菊池市の北東山麓に位置し、周囲に空堀跡や土塁跡が残る。明治維新後、勤王菊池氏を顕彰して本丸跡に菊池神社が建てられた。菊池神社の参堂脇公園に菊池武光騎馬像があり、境内には菊池武時騎馬像、第二次世界大戦で特殊潜航艇艇長としてシドニー湾に突入して戦死した松尾敬宇中佐の胸像がある。戦前は軍神を祭る神社として名高かったが、戦後は桜やツツジの名所として市民や観光客に親しまれている。参堂脇には歴史資料館も建ち、菊池氏所縁の古文書や装束などが展示されている。

出典:wikipedia

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