桐壺(きりつぼ)は、冒頭いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。どの帝の御代であったか、それほど高い身分ではない方で、帝(桐壺帝)から大変な寵愛を受けた女性(桐壺更衣)がいた。二人の間には輝くように美しい皇子が生まれたが、他の妃たちの嫉妬や嫌がらせが原因か病気がちだった更衣は、3歳の皇子を残して病死する。これを深く嘆く帝を慰めるために、亡き更衣に生きうつしの先帝の皇女(藤壺)が入内し、新たな寵愛を得た。一方、皇子は帝のもとで育てられ、亡き母(桐壷更衣)に似ているという藤壺を殊更に慕う。帝は元服した皇子を臣籍降下させ源姓を与えて、左大臣家の娘(葵の上)の婿とする。彼はその光り輝くような美貌から光る君と呼ばれる。嵯峨天皇には多くの皇子がいた。天皇は皇室経費を削減し安定させるため、皇子の多くを臣籍降下させた(臣籍降下のあと賜姓した)。天皇の妃には皇后(中宮)・女御・更衣・御息所などがいるが、皇后・女御など比較的身分の高い妃ではなく、更衣・御息所など比較的身分の低い妃が産んだ皇子から臣籍降下させた。 ※嵯峨天皇の皇子・源融が光源氏のモデルの一人と言われている。本巻は源氏物語の首巻であり、年立の上で最も早い時間軸の部分が描かれているが、続く巻である「帚木」とのつながりが悪いことなどを理由として古くは室町時代の注釈書である『源氏物語聞書』、近代に入ってからは与謝野晶子により、さらには池田亀鑑や阿部秋生らによってしばしば後挿入説・後記説が唱えられている。本巻と帚木との間の不整合については両巻の間に輝く日の宮の巻の存在を想定して解決しようとする風巻景次郎の説もある。
出典:wikipedia
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