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平柳玄藩

平柳 玄藩(ひらやなぎ げんば、1980年3月6日 - )は、日本の元男性プロレスラー。埼玉県川口市出身、本名は平柳 努(ひらやなぎ つとむ)。プロレスリング・ノア所属、170cm・85kg・B型。学生時代はレスリングで丸藤正道と対戦経験があり、警備会社社員を経て、2004年6月、プロレスリング・ノアに入団。田上明の付き人となった。2005年8月15日、12人参加のバトルロイヤルにてプレデビュー。同年10月18日松山市・アイテムえひめ大会における川畑輝鎮戦で正式デビュー。同団体3人目の新人となった。師匠の色を受け継ぎ、タイツは赤。2006年1月11日、永源遙の還暦記念試合のパートナーを務める。2006年3月21日、ディファ有明で行われたプロレスリング・セム旗揚げ大会に参加するが、第1試合(対SUWA戦)で下顎骨を骨折し暫く欠場。2007年からは、急所攻撃をする・相手の顔につばを吐くなどの行為を行うようになり、以後チョイ悪のギミックで試合を荒らしまわり、「悪童」のニックネームが付いた。2008年1月6日、「親からもらった名前で悪さをしていてはいけない」という理由から、田上明の命名によりリングネームを本名の平柳努から平柳玄藩に改名した。2008年5月18日イリミネーションマッチながら大先輩の菊地毅から金星を挙げた。またシングル戦だけでなく鈴木鼓太郎や金丸義信らと組んでさらにラフな面が多くなった。また、力皇猛とモハメド・ヨネのチームに合流し、「DISOBEY」を結成した。2010年10月、第4回日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に金丸とタッグを組んで出場。2014年よりNO MERCYのリーダーとなる。同年の日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦では、NO MERCYの自称メンバーでもある菊タローとのタッグで出場。多くの話題を振りまいたものの勝ち点0で公式戦を終えた。9月23日には電流爆破マッチにも挑戦。2016年7月30日、第10回日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦の後楽園ホール大会にて引退を発表。発表から数日後トークショーにて引退理由が「プロレスよりも女房と子供が大事になったこと」が理由であると結婚していたことや子供が3人いたことを報告。同時に引退後は保険会社ジブラルタ生命保険で働くことを発表した。その後の週刊プロレスのインタビューでは保険外交員としての筆記試験を行うことも明かした。9月10日、引退記念試合としてメインに登場。潮崎豪、マイバッハ谷口、キャプテン・ノアとタッグを組み鈴木軍と対戦し、杉浦貴のオリンピック予選スラムで敗れる。試合後の引退式には平柳の息子もリングに上がり、一緒に記念写真に納まった。

出典:wikipedia

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