LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

磐梯高原

磐梯高原(ばんだいこうげん)は、裏磐梯または裏磐梯高原とも呼ばれ、福島県北部にある磐梯山、安達太良山、吾妻山に囲まれた標高800メートル程度の高原状の地域をいう。磐梯朝日国立公園に属する。磐梯・吾妻・安達太良などの火山群は、非常に地形の変化に富んでおり、対して桧原湖・五色沼に代表される湖沼群はその総数200~300ともいわれ、その水質や沈殿物、あるいは生育する植物の違いにより色を変え、ひっそりと森の中にたたずんでいる様は、会津地方はもちろん福島県を代表するリゾート地として充分な魅力である。また有料道路・遊歩道も整備され、新緑や紅葉の季節はもちろん夏は避暑地として、冬はスキー場、桧原湖のワカサギ釣りなど四季を問わず楽しめ、ホテル、ペンション、民宿など宿泊施設も整っている。猪苗代湖がある磐梯山南側の表磐梯に対して、北側にあたる旧・檜原(ひばら)村(現・北塩原村)一帯は裏磐梯とよばれていた。1888年(明治21年)7月15日の磐梯山噴火時に発生した小磐梯の山体崩壊により、裏磐梯側に12~15億立方メートルともいわれる岩屑(がんせつ)なだれが起き、長瀬川とその支流中津川・小野川・檜原川などを埋めて誕生したものである。同時にそれは秋元、細野、雄子沢(おしざわ)の3集落を呑み込み、さらに同年末には旧・檜原本村も水没し、死者・行方不明者数は477人にのぼるなど甚大な被害を残した。その後しばらく数十年は荒涼とした原野のままであったが、遠藤現夢(遠藤十次郎)・宮森太左衛門・斎藤丹之丞・中村弥六らはここに犠牲者の供養をするとともに、1340haに及ぶアカマツやスギ、ウルシなど10万本の植林をすすめ、現在の緑豊かな高原として生まれ変わったという。そして戦後、観光開発に伴い磐梯高原と呼ばれるようになり、1950年(昭和25年)に一帯は周辺の火山とともに磐梯朝日国立公園に指定された。山岳道路等はそれ以降相次いで整備されたものである。磐梯高原に入るには上記の交通機関のほか、国道115号の猪苗代口、福島市土湯温泉口あるいは国道459号の耶麻郡北塩原口(喜多方口)があるが、山岳道路も非常に充実している(冬期間通行止めの路線あり)。会津大事典(国書刊行会)

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。